黒衣の女公爵  


第九章 「晴天」 3


「――ってまさか、その為にわざわざおいで下さったんですか? 庭師長に、あんな伝言をなさって」
 はたと何かに思い至った様子で、ルアンはグネギヴィットに問いかけた。顔中に大きな文字で『しまった』と書いてある。
「あんな伝言ってどんな伝言?」
 真正面から当たってこられて、グネギヴィットはとっさに、空とぼけることで自衛していた。
「決まっているじゃないですか。晴れたら椿を観に行くぞ――ってやつですよ」
「ああ、そのようなことを伝えてもらったね、確かに」
 焦った様子のルアンに対して、グネギヴィットは平静を装い、腕組みをして身構えた。
「はい。元日の夜は、庭師仲間に酔い潰されていましたから、俺が伺ったのは次の日でしたけど……。せっかく公爵様から、名指しでお言葉を頂いたんだからって、 俺は雪の間の椿園の管理を任されることになりました。公爵様がいつお見えになられても、危なくないよう責任をもって整備しとけっていうのが、庭師長からの言い付けで」
「それで?」
「それで、ですね……」
 グネギヴィットに鋭く促され、ルアンは何かを観念したらしい。寒気と緊張でかさついた唇を湿してから、気まり悪げな顔つきをしてぼそぼそと続けた。
「で、その……。俺はたまたま、今日のこの時間にここにいたってわけなんですけど……。ひょっとして呼び出しってやつだったんですか? あの伝言」
「!」
 ルアンの発問は我が意を得ていたが、そこで即座に頷いてやれるほど、グネギヴィットの矜持は安いものではない。
 神妙に答えを待つルアンを前にして、グネギヴィットの内心を穏やかならぬ思考が巡る。
 鈍いなら鈍いままでいてくれればいいのに、何故ルアンは今になって勘付いてしまうのだろう? わくわくと空が晴れる日を待ち、今日は執務の間も、庭を歩いて椿園に辿り着く寸前までも、 一人心躍らせていた自分がまるで馬鹿のようではないか。全くそれは、ローゼンワートに指摘されてしまうほどの浮かれぶりで――。
「だったとしたら、どうだというの? ルアン、断っておくが、お前のことなどもののついでで、わたくしは今日、兄上を偲びたくてここに来たのだぞ。なのにそれを、 お前に礼を言う為にわざわざなどと――、勘違いも甚だしい!」
 思い返される自分の姿がたまらなく気恥しくて口惜しくて、グネギヴィットはルアンに、激しい剣突を食らわせていた。ルアンはその剣幕にのまれて、弾かれたように姿勢を正す。
「そ、そうですよねっ!! 変なこと聞いてすみませんっ……!」
 眦(まなじり)を吊り上げて憤るグネギヴィットを前に、ルアンは完全にうろたえていた。グネギヴィットから指摘されて、初めて気付いた自分の思い上がりに、ルアンの血液は音を立てて沸騰する。
「うっわ……」
 自分の台詞を思い返すにつけ、ルアンは穴があったら入りたい気持ちでいっぱいになる。天を衝くようなおかんむりの根底にある、グネギヴィットの複雑な胸中など、こんな調子でいては量れる筈もない。


*****


 帽子を下げて顔を隠し、大きな身を縮こめて恥入ってしまったルアンの態(てい)に、グネギヴィットは胸がすくのを感じた。激情が引いてゆくとたちまちに、この得がたい時間を無駄にしているのが惜しくなる。
 ルアンは一刻も早く、この場から解放して欲しいのかもしれないが、そうはさせてやらない。
 底意地の悪い心よりも、身体はずっと素直にできている。グネギヴィットの足は惹かれるままにルアンに歩み寄り、グネギヴィットの手はしおらしくルアンの袖を引いていた。
「だけどね――。ルアンのせいで、しんみりとしたい気持ちはすっかりと失せてしまった。失言は許してあげるから、もうしばらくわたくしに付き合ってゆきなさい」
「はい……」
 帽子を退かし、真っ赤に茹であがった顔を見せて、ルアンはグネギヴィットに服従した。
 上からものを命じ慣れた、高飛車な物言いとは裏腹に、可愛らしくお願い事をしているような手と、近すぎる黒い瞳にへどもどとしながら。
「お、俺は構いませんけど、大丈夫でしょうか? 雪の上には足跡が、その……。公爵様と俺の秘密を、バラしてしまう証拠が残ってしまうって、以前におっしゃっていたでしょう?」
「おかしなことを言う。わたくしは今日、お前が庭師長の言い付けに従っていたところへ、『偶然に』通りかかっただけ。何を秘密にする必要がある?」
 平然とうそぶいて、グネギヴィットはあっさりと手を放し、ルアンをがっかりさせると同時にほっとさせた。両極の感慨を天秤にかけて、残念よりもまだ、安堵に比重が傾いていることに、 ルアンは重ねてほっとする。
「いいんですか? 内緒にしなくて」
「いいよ。今日に限っては、だけどね。もしも誰かに問われることがあったら、下手な言い訳でごまかそうとせず、散策中のわたくしに声をかけられたのだと正直に話しなさい。 要はおしゃべりに過ぎなければいい。他人(ひと)に知られてもいいようなことと、いけないことの線引きぐらいは、ルアンにも判断できるだろう?」
 都合の悪い話題にははなから触れないか、一切合切を黙秘してしまうようなルアンである。狸の家系に生まれ育った自分とは違って、上手に嘘はつかせられないだろうとグネギヴィットは踏んでいる。
「わかりました。まあ、俺の行動に関心を払うような人なんて知れてますから、尋ねられるとしても庭師長くらいのもんだと思いますけど」
「だろうね」
 頷きながら、今日のこの対面が叶ったのは、全くもって庭師長さまさまだとグネギヴィットは思う。庭師長が知らずして出してくれた助け舟なくしては、十中八九ルアンは今ここにいなかっただろう。


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