黒衣の女公爵  


第十一章 「輪舞」 4


 曲の終りと同時に、惜しみない拍手の嵐が、円陣をなす姫たち公子たちに注がれた。
 一生懸命を絵に描いたような、若葉の精たちの輪舞は見物人の心をほぐし、大広間の空気を心地よくあたためたようである。
 そんな中で、一人憂鬱な素振りを見せている訳にもゆかず、ユーディスディランも国王夫妻に倣って立ち上がり手を叩いた。王太子も長くやっていると、取り繕うばかりが上手くなる。国王代理という重責を、 負荷されるようになってからはなおさらのことだ。
「みな良うやった、良うやったのう。余は実に満足じゃ、褒めて遣わす」
 その隣で父王は、お気楽に相好を崩しきり、ユーディスディランには憎らしいほどご満悦の態である。会場の沸騰と国王の賛辞に感激しながら、踊り手たちは胸と息を弾ませて、玉座に向かって丁重に頭 (こうべ)を垂れた。
「おお、そうじゃそうじゃ。みなのもの、素晴らしい余興を企画してくれた、我が后にも、拍手を」
「ま」
 鼻高々な顔つきをして、ハイエルラント四世がドロティーリアの手を差し上げると、それにまた人々がわっと盛り上がる。
 熟年を迎えてなお睦まじい国王夫妻の姿は、デレスという国の平和を象徴しているかの ようだ。国教会は厳格に一夫一婦制を提唱しており、国王夫妻がそれを実践しているのは結構なことだが、ユーディスディランには羨ましい反面で面映ゆくもある。
「若葉の姫たちは――、それに、公子たちにも初登城の者が何人かおったかのう。大任はもう仕舞いじゃ。そう硬くならずに、後は夜更かしせぬ程度に遊んでゆくがよい」
 幼い姫たち公子たちを労う、茶目っ気のある国王の言葉に好意的な笑いが広がった。ハイエルラント四世がエスコートの為に肘を出し、ドロティーリアがその腕を取って歩み出すのに従って、 ユーディスディランも高みから降りる。


*****


 さてここからが、本格的な舞踏会の始まりだ。国王が真っ先に声をかけるのは一体誰か? それはいつでも貴族たちの関心の的だが、今夜ばかりは誰の目にも明らかである。
「久しいのう、グネギヴィット。アレグリットは初めましてじゃな」
 妻と息子を連れて、ハイエルラント四世は迷うことなくサリフォール家の姉妹の前へとやってきた。意表をついて小粋な男装で現れた、グネギヴィットと話をしたくてうずうずとしていたのは、 何も国王一人に限ったことではない。
「はい、服喪の為とはいえ、長きに渡りご無沙汰をしておりました。両陛下並びに王太子殿下には、疎遠のお詫びと新緑のお慶びを申し上げます」
「本日はお招きありがとうございます。みなさまにはご機嫌麗しゅう」
 姉に揃えてお辞儀をし、控え目に言葉を添えたアレグリットはさすがに緊張気味であるが、グネギヴィットの態度は落ち着き払ったものだ。見映えよく上出来な挨拶は、本来はやんごとなき淑女である のを忘れそうなほど、凛々しくて『男らしい』。
「うむ。シモンリールのことは、誠に遺憾であったのう……。末頼もしい若者を亡くしたものと思うておったが、サリフォール家は新たに、佳良な当主を得たようじゃな」
「過分なお言葉を賜り、恐悦至極に存じます。わたくしはまだ、諸兄に遠く及ばぬ若輩者でございますが、陛下よりお預かりしております州を徒に騒がせませぬよう、兄の代に劣らず、国家と王家への忠勤に励む 所存でございます」
「よい心がけじゃな。いつまでも初心を忘れぬようにの」
「はい」
 謙虚に答えるグネギヴィットをまじまじと見つめて、ハイエルラント四世は苦笑混じりに、大広間にある男たちの意見を代弁した。
「それにしても、何とも奇天烈(きてれつ)な格好をして参ったのう、グネギヴィット。そなたが王宮に咲き戻るのを、みな楽しみにしておったであろうに」
 一瞬だけユーディスディランに視線を向けて、胸に走った微かな痛みが、しかし切なくも美しい想い出を懐かしむものであるのを確認すると、グネギヴィットは麗々しく微笑みを湛えながら堂々と宣言した。
「畏れながら、国王陛下、わたくしは今宵の花ではありえません。マイナールの百合は、一輪あれば足るでしょう」
「こやつ、言いおる……!」
 今宵の花、というのは、王后ドロティーリアが絞り込もうとしている王太子妃候補の比喩だろう。もはや自分には、その資格も未練もないのだときっぱりと言い切ったグネギヴィットに、 ハイエルラント四世はからからと笑った。
「グネギヴィットはかように申しておるが、ユーディスディラン、そちはいかように思うておる?」
 衆人の野次馬心を見透かした、国王の直截な問いかけに人々は固唾を呑んだ。煩わしく思いながらもユーディスディランは、サリフォール家の姉妹を交互に見て、その期待に応えてやった。
「……そうですね、サリフォール公が言うのは正しいかと。しかしながらサリフォール公、あなたにもやはり艶姿でいらして欲しかった。今さら困らせるつもりはないが、あなたをダンスにも誘えないのは 残念だね」
 いささかの無念さが滲む返答であったが、『サリフォール公』という突き放した呼び方が、ユーディスディランの距離の取り方を十二分に物語っていた。かつてのような親密さを取り戻せぬのは寂しくもあるが、 それこそは別れを告げたあの日から、グネギヴィットが望んできたことでもある。

「殿方は勝手ばかりをおっしゃっていますけれど、あたくしは残念どころか大歓迎ですわよ」
 滞りかけた空気を転換するように、ゆったりと扇を翻しながらドロティーリアが口を挟んだ。王后は悪戯に瞳を輝かせながら、国王の腕から放した手をグネギヴィットの胸元へするりと伸べる。
「ユーディの代わりに、あたくしが誘ってもよろしいですか? サリフォール公」
 ドロティーリアの酔狂に周囲はざわめいたが、グネギヴィットは彼女の機転に感謝をし、ためらうことなく受けて立った。
「喜んで。御手を拝借致します、王后陛下」
 グネギヴィットはドロティーリアの手指を典雅に掬い上げると、軽く睫を伏せながらその爪先に口付けた。本物の男には醸し出せない倒錯的な色香に、列席した貴婦人たちの唇から、 うっとりとした吐息と悶絶寸前の叫びが漏れる。
「やってくれるのう」
 呆れ半分、感心半分にそう呟いて、ハイエルラント四世は、姉の過剰なたらしぶりを目の当たりにし、真っ白になっているアレグリットの顔を覗き込んだ。
「やれやれ、后に振られてしまった。アレグリットや、余と踊ってくれるかの?」
「は、はいっ……、慎んでお受け致します、陛下」
 慌てて答えて、国王が差し出した手のひらに自らの手を重ねてから、アレグリットははたとユーディスディランを振り仰いだ。
「殿下は――」
「私はいい。父をお願いできるかな、百合の蕾の姫君」
「はい」
 ユーディスディランに憂いを帯びた眼差しを向けられて、アレグリットは落ち着きなく頬を染めた。周囲に聞かれてしまうのではないかと思うほど、どきどきと心臓が騒がしい。
 正装をした王太子は、アレグリットの記憶以上に魅惑的であった。深緑と白の衣裳に黄金の徽章。腰には王位継承者の証とされる見事な宝剣。 引き締まった長身は逞しくも優雅で、悩み多き暗紫色の瞳は、以前にはなかった、母性をくすぐるような陰りを帯びている。自分の声や振る舞いが乙女心に訴えかける威力を、ユーディスディランはどこまでわかっているのだろうか?
「みなも、呆けておらず存分に楽しむがよい。新緑の季節の夜は、長いようで短いものだ」
 ユーディスディランの言葉を機に、止まっていた円舞曲が再び流れ出す。グネギヴィットはドロティーリアと。ハイエルラント四世はアレグリットと。他の男たちも目当ての女性を誘い、思い思いに踊り始める。


*****


 人々を煽りながらユーディスディラン自身は、令嬢たちの誘惑をかわし壁際に引いた。彼女たちの媚が、ねばねばと纏わりつくようで鬱陶しい。ドロティーリアの思惑のおかげで、ユーディスディランの――というよりも、王太子妃の座の争奪戦はにわかに激化しているようだ。 口にこそ出さないが、勝手にやっていろ、と思う。
 給仕人に酒を運ばせて、ユーディスディランは唇を湿しながらだんまりを決め込んだ。壁にもたれ一切の干渉を拒絶して、物怖じなくドロティーリアをリードしているグネギヴィットを眺める。

 媚びない彼女だから好きだった――。

 エトワ州城での別れの夜、ユーディスディランはグネギヴィットの決断をただ受け止める他なかった。とうに諦めたつもりで、けれど、グネギヴィットの胸の奥には未だ消せない恋の炎が灯されているのではないかと、 今日の今日まで心のどこかで期待していたことに気付く。
 引き裂かれた恋の想い出に、甘い夢を見ていたかったのか? それとも彼女の潔さを、見くびっていたのだろうか?
 己の往生際の悪さに、ユーディスディランは自嘲するしかない。
 いずれにしても、自分はどうやら改めて失恋をしたらしいと、ユーディスディランは実感していた。そうしながら一方では、冷静に自問している。グネギヴィットの度を超した男ぶりを知っていたならば、 果たして彼女に恋をしていただろうかと――。
 時は喪失の痛手を確実に癒して、かつての熱情はすっかりと薄れていた。しかし、ユーディスディランが踏ん切りをつけて前へ進むには、心浮かせてくれるようなきっかけが必要だった。


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