黒衣の女公爵  


第二十三章 「激情」 2


「マイネリア様、ごきげんよう」
「ごきげんよう。よかったですわ、間に合って」
 踊り場でアレグリットに追い付いたマイネリアは、頬を上気させながらふわりと微笑んだ。
「間に合ってって……、よろしいのですか? マイネリア様、ドロシー様にお呼ばれしてらっしゃったのでしょう?」
「ええ、ですが、ドロシー様にお願いして、あたくしも下がらせて頂きました。今日の陛下のサロンは、あたくしにはとても居心地が悪かったものですから」
「マイネリア様、どこにどなたのお耳があるかわかりませんわ」
 しっと唇の前に指先を立てて、忠告するアレグリットに、マイネリアは首を振る。未だ恋を知らないマイネリアが慕うのは、 ユーディスディランよりもグネギヴィットであり、何かとたいへんそうな王太子妃は、候補に挙がったという名誉だけで十分なのだ。 夢見がちな娘を愛しむ父母もまた、気苦労の多い妃の地位に娘自身を昇らせるよりも、王后に礼儀を学び、未来の王太子妃らと親交を深めてもらえれば……という腹で、 王后主催の集まりにマイネリアを送り出している節がある。
「別に構いません。あたくしケリートルーゼ様のお仲間になるよりも、アレグリット様のお友達のままでいたいのです。 お味方になれればと思って早目に参ったのつもりなのですが、一歩遅かったようですね……。ドロシー様もまさか、おいでになられたばかりのアレグリット様を、 そのまま追い返されてしまわれるなんて……」
 そう言ってマイネリアは、我がことのように眉を曇らせる。友愛に満ちたマイネリアの言葉は、打ち沈んでいたアレグリットの心に温かいものを上らせた。
「そのお気持ちだけで十分です、マイネリア様……。それよりも御存知なのでしたら、今何が起きているのか教えて頂けませんか?  わたくしまるでわからなくて……」
「あら、アレグリット様は今朝の『フィアルノ新聞』の号外を、お手に取られてはいらっしゃいませんの?」
「ええ。デオリ社の配達人が、当家の邸を抜かして配ったようで……」
「まあ! ひどいお話! 記事の内容だって、それはそれはひどいものでしたけれど――」
「マイネリアお嬢様!!」
 頭上からの呼び声にマイネリアが振り向くと、その従者である彼女の侍女が、控えの間に呼び出しをかけておきながら、姿を消した主人の行方を捜し当て、 階上から下って来るところだった。

「一人で勝手に歩き回られて、お行儀の悪い。どうしてわたくしが参るまで、大人しくお待ちになれないのです」
「一人じゃありませんわ。アレグリット様がご一緒ですもの」
 苦し紛れな言い訳をして、マイネリアはつんと唇を尖らせた。 自分を捉まえ話をするために、無作法と知りながらマイネリアはそうしてくれたのだろうと、アレグリットは申し訳なく思う。
 踊り場で合流したマイネリアの侍女は、アレグリットに形ばかりは恭しく膝を折ってから、しかしこちらにもわざと聞かせるようにして、 怖い顔つきでマイネリアを窘めた。
「なお悪うございます。お父上に叱られますよ」
 侍女の無遠慮な物言いに、マイネリアは「まあっ」と目を釣り上げた。
「何て無礼なことを言うの! あたくしの大事なお友達の前で! お父様のお叱りなんて怖くないんだからっ!  ……そうだわ姉(ねえ)や、姉やには今日の『フィアルノ新聞』の号外を持たせていたわね? お詫びとしてアレグリット様に差し上げて。 デオリ社が意地悪をしたせいで、まだお読みになられていないそうなの」
「では、渦中にあられるのに、何も御存知ではない――、と」
 マイネリアの侍女は、驚きそして不憫げな目をアレグリットに向けてから、手に下げていた巾着袋の中から、小さく折り畳んだ新聞紙を取り出した。 号外とあって片面刷りなそれは、内折りにされていて文字列は見えない。
「それでは、どうぞこちらをお納め下さいませ、アレグリット様。重ね重ね失礼を申し上げることになりますが、こちらをご覧頂けましたなら、 あなた様にマイネリアお嬢様をお近づけになりたくないという、エイトルーデ侯の心情をご理解頂けると存じます」
「姉や! 何を――」
「よろしいのよ、マイネリア様。 わたくしに――いいえ、サリフォール家の人間に、エイトルーデ侯爵様の代弁者として、聞かせてもらえることがあるならば、続けて」
 姉に似た凛とした佇まいで、アレグリットは先を促した。十五の少女とは思えない落ち着き払った態度に、マイネリアの侍女の首(こうべ)が自ずと垂れる。
「はい。ですが我が主筋は、フィアルノの笛に煽られ、乗せられることも致しません。サリフォール並びにアンティフィント、両公爵家の仲違いには関与せず、 エイトルーデ侯爵家は中立を保ちます。それから以降は、わたくしめの意見にございますが……、マイネリアお嬢様のために、そしてお二方のご友誼のために、 御姉君サリフォール女公様が、疑惑を晴らされますことをお祈り申し上げます」
 疑惑――? 姉は一体フィアルノによって、いかなる疑惑を吹っ掛けられているのだろう? 一刻も早くそれを確かめて、伯母と対策を練らねばならない。 はがゆさを隠してアレグリットは謝辞を述べた。
「わかりました。言い難いことをはっきりと言ってくれてありがとう。こちらもありがたく頂戴します」
 貴重な情報源である号外新聞に、アレグリットは視線を流した。その意を汲んでその乳母が代わりに受け取る。 こなたは何も言わず、けれども格下の侯爵家の従者如きに、自慢の姫が敬遠されねばならない無念さに、ただただ唇を噛んでいた。

「それでは、わたくしどもはこれにて失礼致します。さ、マイネリアお嬢様、参りますよ」
「――アレグリット様!」
 下城するアレグリットとは逆の方向に、つまりは王后の居室の側に、一旦引き返させようとする侍女の手を振り切って、 マイネリアは今生の別れを惜しむかのようにアレグリットを抱き締めた。
「こんな号外が出てしまった以上は、そこに書かれております、最も驚くべきことは事実であるのでしょう。 けれどそれでも、サリフォール公爵様はあたくしの憧れのお姉様。実の殿方よりも素敵な紳士であり、そしてそれ以上に、本当の淑女であらせられました、ですから……。 もしも他の全てが真実だとしても、フィアルノが最後にいやらしく邪推するようなことだけは、絶対になかったのだと信じております」
 急に足元を突き崩されたような心細さの中、寂しげにすんと鼻を鳴らしながら、そう訴えてくれたマイネリアに、アレグリットもまた感に堪えず抱擁を返した。
「ありがとうございます、マイネリア様……、またきっとどこかでご一緒しましょうね」
「ええ……」


*****


 登城の際に乗り付けた馬車は、夕方に迎えに来るよう言い付けて、折り返し邸に戻してしまっていたので、アレグリットは仕方なく辻馬車を回させた。
 サリフォール家の令嬢が、王宮から辻馬車で帰るなど、前代未聞の出来事、格好の物笑いの種だろう。
 しかしアレグリットは、「それが何か?」という涼しい顔つきをして、優雅な仕種でそれに乗り込み、表情を無にした乳母を連れてさっさと王宮を後にした。
 恥じらいを見せるにも、時と場と場合、或いは相手というものがある。 下手におどおどなどすれば、暇を飽かせた王宮雀たちを喜ばせ、ぴーちくぱーちく好き勝手に噂されてしまうだけだ。
 辻馬車の中で、隣に並んで掛けさせた乳母に、アレグリットは『フィアルノ新聞』の号外を開かせた。 息を詰める主従の目にまず飛び込んできたのは、まさに驚天動地の大見出しだった。

『発覚! マイナールの白百合に庭師の恋人!』

「えっ……!?」
 叫んでそのまま絶句する乳母の横で、アレグリットはある一つの人の名を飲み込んだ。
 ――『ソリアートン』……!!
 今ここに暴かれているのは、グネギヴィットに何度も何度も「帰りたい」と言わしめた、『ソリアートン』であるに違いない。 マイナールで姉の帰りを待っていたのは、執事ならぬ庭師であったのか!!
 なるほど、姉がそうやってごまかして、秘密にしたわけだと思いながら、アレグリットは乳母と肩を寄せ合うようにして、記事を頭から食い入るように黙読した。 そこには――。
 グネギヴィットがザボージュとエトワ州城の中庭で睦まじくしていたところへ、主人に捨てられた庭師が通りかかり、身の程知らずな妬心から、 衝動的にザボージュを殴りつけた。この事件によって女公爵と庭師の、誤った関係が発覚。これを我が身の不徳の致すところとしたグネギヴィットからの申し入れで、 ザボージュとの縁談は破談に至る――という、虚実織り交ぜ、ザボージュ一人が被害者となるよう脚色した、グネギヴィットの醜聞が書かれていた。
 のみならず。
 記者の品性を疑う、あまりにも下劣な文末に辿り着いたその瞬間、アレグリットは怒りが昂じてぶるぶると身体が震え出すのを止められなかった。

 ――ところで、麗しのマイナールの白百合は、この羨ま――いやいや、けしからぬ庭師に、一体いつから、そしてどこまで!  庭と一緒にご自身の手入れをさせておいでだったのだろう?
 筆者はひとえに、王太子殿下が裏切られておられぬことを、願うばかりである。
(文責:レギーオ・ヴォ・ベサレジナ)


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