黒衣の女公爵  


第二十四章 「審問」 3


「それにしても、何故庭師。あなたの周囲に、他に男は大勢いただろうに」
 ユーディスディランの素朴な疑問に、グネギヴィットは首を捻った。周囲にいる人間を、男だの女だのと意識する気持ちは、ルアンに恋した今でも正直よくわからない。
「殿下のおっしゃる男というのが、親族や州府の官でございますなら、彼らにとってわたくしもまた男のようなものですから、 男が男といたところでどうなるものでもございません。だからといって、庭師は庭師、わたくしにとっては異性である前に使用人で、 庭師にとってわたくしは何をおいても主人で、それ以外の何者でもないつもりだったのですが……」
「ふむ」
「兄を亡くし、家督を継ぎ、そのために殿下とお別れをして、さすがにわたくしも落ち込みました。沈んだ気持ちを慰めようと庭に出て、するとそこには、 庭師がいてくれた……。わたくしのために花を育て、わたくしの休める木陰を作って、わたくしの話に耳を傾け、わたくしの気を楽にして、ただ、そこにいてくれた……。 たったそれだけのことがいつの間にか、かけがえのないものとなっておりました。庭師が分を弁えぬ愚か者であったなら、不用意に心を預けきってしまう前に、 遠ざけることもできたのでしょうが」
「庭師とはあくまで、清い仲であるとも主張される?」
「ええ。自身の名誉のためでございます。殿下に対する不貞を完全否定する、といった意味も合わせまして、教会で処女検査を受けても構いません。 また、恥ずかしながらわたくしの守り役、兄の忠臣でもございましたローゼンワートが、わたくしに隠して庭師との密会を見張らせつつ、 衛兵たちに綴らせておりました『特別警備日誌』なる記録がございます。必要でありますなら、提出の用意をしておりますが」
「検査は結構。それを回避なさろうとするのではなく、ご自分から申し出られた自信は信頼に値する。だがその、『特別警備日誌』とやらは査収させてもらおうか。 母上をお宥めする材料になりそうだ」
「おっ、王后陛下にもっ……。ご用立てが済まれましたら、どうか早々にご返却くださいませ」
 教会で尼僧に処女検査を受けるよりもその方が、よほど羞恥に堪えないといった風情で、グネギヴィットはマリカにそれをユーディスディランに献じさせた。 今はもう、自分でも目を通し中味を把握しているだけに、決まり悪さは倍増である。
 しかしながら、急ごしらえの捏造品である――という評価を受けてしまわぬ限り、そういった日誌を付けるに至った経緯や、 監視対象となるルアンの情報――特に重要と思われるのは、人物考査や勤務開始日か――等も大前提として記されており、ザボージュを迎える数日前の最後の最後まで、 二人の間の『恋人らしきことの何も無さ』を示す有益な文書である。一方で、ろくに近付くことすらしようとしない、少年少女のぎこちない恋を追うような甘酸っぱさと、 衛兵たちがルアンに寄せる、共感や同情、激励、感心等々のせいで、どうにもこうにもおかしな書き物になっているのだが。
 そんなグネギヴィットに意地悪心を抱きながら、おもむろに『特別警備日誌』の頁を開いたユーディスディランは、しばらくして肩口に顔を背けて含み笑いを漏らした。
 そのまま……、少し読んでは笑われる、を繰り返す、拷問を耐えねばならぬのかと身構えたグネギヴィットであったが、予想を外してユーディスディランは、 その後二度と失笑するようなことはなく、所々を読み飛ばしながら、二人の奇妙な関係が終わったことを記して役目を終えた日誌を閉じると、 思案深い顔つきをしてグネギヴィットに尋ねた。

「この庭師を、サリフォール家は今現在、どう処しておられるのか?」
「はい。一門を代表して叔父のシュドレーが、エトワ州立劇場にて預かりにしております。わたくしのために起こした行動ゆえに、 客人に暴行を働いた罪は問わぬとしておりますが、反省とわたくしとの距離は必要と……。けれどわたくしは折を見て、庭師を州城へ戻したく思っております。 一門の説得が途中なのでございますが」
「その理由も聞かせて頂こうか。何故?」
 ああ、ここが、正念場だ――。答える前にグネギヴィットは気を引き締めた。ここで逸って、間違えてはならない。だけど決して、嘘は、つかない。 自分の希求する未来は、ユーディスディランの理解なくして、歩める道ではないから。
「はい。わたくしは、当主が独り身のまま、世子を生さずして逝くことによる弊害を、身をもって存じているつもりでおります。それがどれだけ、人の醜さを露呈し、 悲しみを招いてしまうかを……。だからこそわたくしは、サリフォール家の当主として、世子を産み、それを一人前に育て上げて次代に繋ぐという、 重大な責務を果たしたいのです。
 けれどもわたくしは今、先ほど殿下にお目にかけましたように、それがたいへん困難な状態にあります。その上に、この先いつか婿を迎えられる日がきたとしても、 我が母の例(ためし)がありますように、女の醜聞は拭い難いもの。殿下ですら、このような不愉快な噂の的とされてしまわれるのです。 わたくしが今後どれだけ身綺麗にしたところで、おそらくは一門から選び出されることになるお気の毒な婿殿は、形だけ据えられた庭師の後釜と嘲られ、 わたくしの産む子は、庭師の子かそれとも新たな愛人の子かという、心無いそしりに一生悩まされ続けることでございましょう。
 ならば――と思うのです。ならばいっそ、と。心が求めるまま、身体が示すままに、愛しい人を婿に取ればよいのではないかと。 たとえそれが身分違いの、平民の庭師であったとしても」
 意思と不安と懇願と……、そして相通ずる哀惜と、様々なものが入り混じったグネギヴィットの眼差しを、ユーディスディランは厳粛に受け止めた。 そうして瞳を逸らさぬままに、重々しく口を開いた。
「私は、国に秩序を与え保つために在る。州公筆頭のサリフォール女公爵であり、私の従妹姫として高い王位継承権も保有されるあなたが、 それを乱す結婚をなさることを、国王代理の権限により認可することはできない」
 厳かにそう告げて、グネギヴィットを奈落まで付き落とした後に、ユーディスディランはゆっくりとこう続けた。
「そして同じ理由で、北の要であるサリフォール公爵家が、お家騒動で揺れることもまた望まない。あなたに子がおできになれば、それは間違いなく公爵家の直系、 サリフォール家の嫡子であると認めよう。あなたが生涯独身を貫かれ、父親の名が明かされることはなくとも」
「殿、下……」
 母体がすなわち直系となる、女公爵ならではの事情をふまえたユーディスディランの裁定に、グネギヴィットは驚きのあまり声を詰まらせた。 ユーディスディランは、平民を婿にする無分別な婚姻は認められないが、内縁の関係であれば目を瞑り、私生児として生まれいずる子の権利は、嫡出子と同等に保障してくれようというのだ。
「ご不満か?」
「いいえ、いいえっ……! ご厚情を、ありがとうございます、殿下……。そのお言葉……、書面にしても頂戴できますか?」
 感に堪えぬといった面持ちで、黒い瞳を潤ませたグネギヴィットのちゃっかりとした問いかけに、ユーディスディランは頬を崩して、厳めしさを解いた。
「実に抜け目のない御方だ。キュベリエール、書状を作る用意を。それから、立会人としてお前も署名を」
「はっ」


*****


 さらさらとしたためた書状の内容を、グネギヴィットとキュベリエールの双方にしっかり確認させた上で、ユーディスディランは仕上げの署名をし、 キュベリエールにもそれを命じてから、固く封蝋を施してグネギヴィットに贈ってくれた。これさえあれば……、 グネギヴィットは一門の誰の口をも噤ませることができるだろう。王太子の御墨付きであるばかりか、キュベリエールの署名まであるので、 アンティフィント家も口撃できないおまけつきだ。
 残る最大の問題は、ルアン本人が何も知らないでいることであるが、外堀を完全に埋めてからでないと、着手できないことなのだから仕方がない。 後はグネギヴィットが、どう考えても尻込みするであろうルアンを、女の甲斐性をもって口説き落とすのみである。

「幸せに、グネギヴィット。これが私にしてやれる最大限のはなむけだ。きっとこの先、並々ならぬ苦労があるだろうが、病める時も健やかなる時も、 愛する庭師と二人で乗り越えて行かれるように。かつてあなたと恋を語った者として、私はそれを願っている」
 初めて恋した人がこの人でよかった――と、そんな思いを噛み締めながら、心震えるようなユーディスディランの祝福を、グネギヴィットは書状と共に胸に抱いた。 謝意で垂れる頭(こうべ)を下げて、グネギヴィットはずっと封印してきた特別な愛称でユーディスディランを呼んだ。
「ええ。あなたも、ユーディ……。一日も早く、素晴らしい方をお妃様に選ばれて、幸福な未来をお迎えになられますように」
 それはほんの小さな変化であったが、二人の関係が形を変えて、始まり直そうとしていることの、象徴のような出来事だった。 気負うことも無くごく自然に、ユーディスディランはグネギヴィットに向けて、別の話を切り出していた。
「私の幸福を祈ってくれるというのなら、サリフォール女公爵グネギヴィット殿、あなたに一つ、どうか頼みたいことがある――」


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