緑指の魔女


第二章 「道程」 1


「全く、あなたという方は」
 王都クルプアを離れた翌日、爽やかな秋晴れの旅の空の下――。
 ランディと馬を並べて南へ向かう街道を行きながら、ヴェンシナは童顔をしかめてぶつくさと説教を垂れ始めた。
「あれほど昨夜は、しっかり休養を取られるようにとお願いしておいたのに、夜中に起き出して、こっそり宿を抜け出そうとなさるなんて」
 二人は昨夜、マルト【中央】州の外れにある小さな宿場町に宿泊した。 王都とはまるで違う鄙びた雰囲気に、浮き足立ったランディは、密かに夜遊びに出かけようとしたところをヴェンシナに取り押さえられ、彼の不興を買っていたのだ。
「未遂だったのだから、もう許してくれてもいいだろう、ヴェン」
 答えるランディには、まるで反省の色が感じられない。ヴェンシナは溜め息を零した。
「あなたのおかげで僕は寝不足です。あの後すっかり、目が冴えてしまいましたからね」
 寝台に戻されたランディは、早々と諦めてすぐに熟睡してしまったが、夜の盛りの時間が過ぎるまで、睨みを効かしていたヴェンシナは、夜明け近くなるまで寝付けなかったのだという。
「それにしても、よく気がついたものだなあ、お前はよく眠っていると思ったのだが」
「普段からお忍び癖のある方にお仕えしていますからね。近衛二番隊に配属されて三日目の宿直初日に、いきなり殿下に逃げられた時の衝撃は未だに忘れられませんよ」
「そうだったかな?」
「そうですよ。あれで、僕のアレフキース殿下に対する認識はすっかり変わりましたからね」
「どう変わった?」
「大らかで寛容な、信頼できる方だと思っていましたけど、実はご自分に正直で、油断ならない人騒がせな方なんだって」
「なるほどなあ」
 ヴェンシナの不敬とも思える王太子評に、ランディは声を上げて笑った。
「笑い事じゃありませんよっ、ランディ様!」
 ヴェンシナは怒りながら少し馬を早め、先導して小川に架かる短い橋を渡った。
「ヴェン」
 ヴェンシナの後ろから橋を渡り終えたランディは、再び彼に追いすがりながら声をかけた。
「何ですか?」
「私のことはランディとだけ呼ぶといいぞ」
 何でもないことのようにランディは言ったが、ヴェンシナは青ざめて抵抗した。
「冗談じゃありませんよっ、ランディ様は僕の上官です。そんな風に気安くお呼びすることはできませんっ!」
「頭が固いな、お前は。休暇中なのだから気にすることはない」
 どこまでも暢気なランディに、ヴェンシナはきりと引き締まった眼差しを向けた。
「いいえ。あなたはそうでしょうけれど、残念ながら僕は、休暇を半分返上してのお役目中なんです」
「そういえばそうだったな」
 干草を山と積んだ荷馬車が、のんびりと二人の横を行き違ってゆく。その都会では見慣れぬ様を興味深げに見送りながら、まるで他人事のようにランディは相槌を打った。
「国家的陰謀です。まさか国王陛下まで、あなたの計画に加担されるなんてっ」
 思わず力んで、硬く手綱を握り締めたヴェンシナに、泰然とした視線を戻してランディは宥めにかかった。
「デレスが平和な証拠だ。それに私が、お前と同じ目線で国を見ておくのは悪いことではなかろう?」
「それはそうですけど……」
 ここで丸め込まれてはいけないと思いながらも、耳ざわりの良い言葉に反論できずにいるヴェンシナに、ランディはなおも言い募った。
「ならばもう少し協力してくれ。そうして平服でいるとまるで軍人には見えないお前と違って、私はどうも人を構えさせてしまうようだからな。ヴェンが気さくに呼んでくれれば場が和むこともあるだろう」
「……あなたはそれで、いいんだと思いますけれどね」
「どういう意味だ?」
「何でもありません。わかりましたよ、ランディ」
 諦めたように答えるヴェンシナに、ランディは破顔した。
 この笑顔が曲者だとヴェンシナは思う。
 ランディには一見すると、本人が自覚しているとおりの取っ付きにくい雰囲気がある。しかしそれは決して、他人に不快感を与えるような類のものではなく、侵しがたい存在感とでもいうべきものであろうか。
 その彼が笑う。凛と整った、精悍な頬を崩して屈託なく。その温かな、包容力を感じる笑みを見せられるとヴェンシナは、どうにもランディに抗えなくなってしまうのだ。


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