緑指の魔女


第四章 「晩餐」 1


「父なるオルディン、母なるフィオ、常しえの兄弟姉妹たるサリュートとフレイアよ、 今日一日のお恵みに感謝致します」
 食卓を囲んだ一同と共に神々への祈りを捧げて、老牧師は組み合わせていた指をほどいた。
「それでは食事にしようかの」
「はい」
 異口同音に返事をして、若者たちは食卓に並べられた料理に待ちかねたように手を伸ばした。
 季節の野菜をふんだんに使った新鮮なサラダ、数種類のきのこと根菜のクリームシチュー、 ジャガイモのキッシュ、太った鱒の香草焼き、そして、手作りのパンに林檎酒と林檎パイ。
「懐かしいなあ、姉さんの料理」
 しみじみと噛み締めるようにして味わっているヴェンシナに、 シャレルとラグジュリエは目を合わせてくすりと笑った。
「何? どうしたの?」
「あなたが今食べているシチューはね、ラギィに作ってもらったの」
「ええっ、そうなんだ!」
 驚いてもう一口シチューを口に含んで、ヴェンシナは首をかしげた。
「やっぱり姉さんのシチューの味がするよ」
「だってあたしのお料理の先生はシャレルだもん。 同じように上手にできるように頑張ったのよ」
 してやったりという顔つきで、ラグジュリエは得意げに胸を張った。
「へえ」
「お前の為に努力してくれたのだろう、果報者だな、ヴェンは」
 軽くヴェンシナをからかって、ランディは林檎酒を口に運んだ。
「料理も美味いが、この酒もとてもいい香りがするな」
「ありがとう、ランディ。お酒はね、牧師様とカリヴァーが二人で造っているの」
「シュレイサ村教会秘伝の林檎酒じゃよ」
 シャレルの言を補足して、エルフォンゾはほっほっと陽気に笑った。
「今日は愉快じゃのう。やはり人が多いのはいい」
「そうだね、みな大人になって独立してしまったからね。 教会で育つ子供は少ないほうがいいけど、大勢いた頃を知っているとなんだか寂しいな」
 長い食卓に並ぶ、空いた椅子を眺めながらカリヴェルトが相槌を打った。 カリヴェルトもまた孤児の出で、教会を継ぐことを決めた時にエルフォンゾの養子になっていた。 彼がまだ少年であった時代、シュレイサ村教会には十人を越える親の無い子供たちが 共に生活をしていた時期があったのだ。
「そういえばフレイアはどうしたの? 僕がいない間に結婚でもしたのかな?」
 まだ教会にいると思っていたのに、姿の見えない『家族』の名を、ヴェンシナは努めて明るく話題に上げた。
 シュレイサ村教会の孤児たちの中で、ヴェンシナは下から三番目だった。 ラグジュリエのようにべったりと懐いてくれていたわけではないが、 春の女神の名を貰ったもう一人の『妹』は、年が近い分だけ共に過ごした時間も長い。もしも本当に、 彼女が何の知らせも寄越さずに嫁いでしまったというならば、 しばらくは落ち込んで立ち直れないかもしれない。
「ええと……、ヴェンにはまだ、誰も何も知らせていないのだったかしら?」
 歯切れの悪いシャレルの問いかけに、エルフォンゾも、 カリヴェルトも、ラグジュリエも、一様に気まずそうに頷いた。
「何? ひょっとして病気とか怪我とか――」
「ううん、そんなじゃないの。フレイアは今ね、村長さんの家にいるのよ」
 悪い想像をしかけたヴェンシナに、シャレルは首を振りながら否定した。
「行儀見習いに上がって、淑女教育を受けているの」
「どうして?」
「……エルアンリ様のお名前は、ヴェンも知っているわよね」
「うん。レルギットの領主様の二番目のご子息だよね?」
 シュレイサ村の所在は、詳細に述べると、デレス王国 サテラ【南】州レルギット領シュレイサ村となる。
 今話題に上っているエルアンリという人物は、 サテラ州南西部に位置するレルギット領の領主、レルギット領伯ブルージュ伯爵の次男だ。
「今年の夏に、ね、村長さんに招かれて村にいらした、 エルアンリ様に見初められてしまってねえ……」
「ええっ!?」
 ヴェンシナは驚いて、フォークを握る拳を食卓に叩きつけた。
「どうしてそんなっ……何があったの!?」
「サリエットが悪いのよ!」
 憤慨した様子で、ラグジュリエがシャレルの後を引き継いで説明を始めた。
「村長さんはね、もともと自分の娘とお見合いさせるつもりで エルアンリ様を村に呼んだの。サリエットは貴族の奥方になるんだって、 散々自慢してたくせに、実際エルアンリ様に会って、 とっても嫌な人だったからって、エルアンリ様にフレイアのことを紹介したのよ!  あの子、フレイアが嫌いだから!」
「ラギィ、悪い言葉は君自身を傷つけるよ」
 村長の娘の仕打ちについては、自らも苦々しく思いながらも、 カリヴェルトは牧師の性でラグジュリエを諭した。 それでも少女は心底悔しそうに続けた。
「だけど許せないんだもん! フレイアはサリエットみたいに村長さんの娘じゃないわ!  身寄りのない孤児の女の子が、貴族の奥方になんてなれるわけがないじゃない!」
「――つまりは妾になれと迫られているわけか」
 シャレルが、エルフォンゾが、カリヴェルトが、ラグジュリエが、 ヴェンシナに言いあぐねていた言葉をランディははっきりと口にした。
「村長は、どうしてそんな横暴を黙認しているの?」
 怒りに震えそうになりながらヴェンシナは尋ねた。
「黙認どころか、エルアンリ様にとても協力的に見えるわ。権力に弱い人だもの」
 諦めたようにシャレルが答えた。
「いい厄介払いができるって喜んでるのよ! フレイアのことをちゃあんと 知ろうともしないで、馬鹿なことばっかり言って、気味悪がってる人たちが大勢いてるから!」
「ラギィ、客人の前でする話じゃない。そのくらいでやめておきなさい」
 カリヴェルトはラグジュリエを諌め、ランディに謝罪をした。
「すみません。せっかくの食事中につまらない話を聞かせてしまいましたね」
「いや……、大切な『家族』のことなのだろう? 怒りや心配は尤もだと思う」
 世の中には、自ら進んで権力者に取り入ろうとする人間も数多く存在する。 けれども、今話題に上っているフレイアという娘は、どうやらその限りではないようだ。 話がよく見えないながらも、ランディは意に沿わぬ境遇に置かれている らしい見知らぬ娘を不憫に思った。
「教会というのは、欲望に囚われた人間には無力な所でのう」
 エルフォンゾは重々しく口を開いた。
「いくら理を説いたところで、 聞く耳を持たぬ連中を相手にしては、娘ひとり守ってやることもできない。 不甲斐無いことじゃて」
「牧師様……」
 カリヴェルトも同じ牧師として、エルフォンゾが感じている無力感は 手に取るように理解できた。 シャレルは愁いを帯びた婚約者の横顔を見つめて、ぽつりと言った。
「恋人がいればねえ……」
「誰に? 姉さん?」
 聞きとがめてヴェンシナが問いかける。弟に向き直って、シャレルは続けた。
「勿論、フレイアによ。あの子にもし恋人がいたら、 こんな馬鹿げたことは避けられたかもしれないわ。 この村の若者には、そんな度量なんて無いのでしょうけどね」
「……」
 考え深げに黙り込んでしまったヴェンシナに、シャレルは少し困ったような笑みを向けた。
「こんな話の後でね、とても言い難いのだけれど、ヴェン、 明日の午後に、私とカリヴァーと一緒に村長さんの家へ行ってもらえるかしら?  結婚式のことでお世話をかけるし、あなたが帰って来たら顔を出させて欲しいって 言われているの。よかったらなんだけど、同行の騎士様も誘ってって」
 ヴェンシナはランディと顔を見合わせた。
「私は別に――」
 構わないが、と言いかけたランディを制して、ヴェンシナは力いっぱい断った。
「いいえ!! 僕だけ行ってきます。ランディは疲れているはずですから、 明日は一日ゆっくりしていて下さい!」
「わかった」
 ランディは肩をすくめた。常に忠実に、彼に付き従おうとしているヴェンシナが、 自分から別行動を薦めるからにはそれなりの理由があるのだろう。
「それじゃあ明日は、あたしが遊んであげるわね、ランディ」
 ラグジュリエが同情するように声を挿んだ。ランディは真面目くさって答えた。
「よろしく頼む、ラギィ」
 ふと食卓の雰囲気が和んだ。


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