緑指の魔女


第七章 「騒動」 3


 ランディは長身だが、エルアンリも負けず劣らず大きな男である。 熊のようなエルアンリを前にすると、無駄な肉のないランディの締まった身体は いっそ華奢にすら見えた。 エルアンリはそれを優位に思い自信を持ったのか、ふんぞり返って大声で恫喝した。
「フレイアから、その嫌らしい手を放せっ!!」
「それはできないな」
 ランディは怯えるフレイアシュテュアをさらにしっかりと引き寄せながら、 エルアンリをじろりと睥睨した。
「君が手加減なくぶったせいで、彼女はまだ少しふらついている。 支え手を放すわけにはいかないな」
 ランディのふてぶてしい物言いに、エルアンリは再び言葉に詰まった。 その視界の中で、フレイアシュテュアの緑と琥珀の瞳が、 彼には一度も見せたことのないような輝きを秘めて、 厚顔な黒髪の騎士を見上げた。
 驚き、そして、安堵、それから……?  甘い夢を見るようにして、艶やかに潤んでゆく眼差しに、 エルアンリは激しく嫉妬した。
「なっ、ならば私に渡せ!」
「それも承服しかねる」
「何だと!?」
 荒々しく掴みかかろうとするエルアンリの手をかわして、 ランディはフレイアシュテュアを両腕で抱き上げた。 村人の間から、おおっというどよめきと色めいた悲鳴が上る。
「――大丈夫だ、ここは私にまかせておけ」
 思わぬ事態に身体を硬くして、呆然と目を見開くばかりのフレイアシュテュアに、 ランディは小声で囁いた。
「は、はい……」
「いい子だ」
 温かく包み込むような魅惑の笑みを至近から向けられて、 フレイアシュテュアは頬の痛みも忘れ、薔薇色に肌を染めた。
「まるでお芝居みたいよねえ……」
 その様子を眺めながら、うっとりと漏らしたラグジュリエの呟きを、 こちらもまた呆然としてしまってヴェンシナは聞き流した。
「何をしているっ、降ろせっ!!」
 一方、度重なるランディの許しがたい振る舞いに、腹の虫がおさまらないのはエルアンリである。 巨体をぶるぶると震わせて、怒り狂うエルアンリに、しかしランディは一歩も譲らない。
「できないと言っているだろう。熊には人の言葉がわからないのか?」
「だっ、誰が熊だと!? 馬鹿をほざくなっ!!!」
 赤ら顔をさらに赤くして、感情的に吠えるエルアンリを、 ランディは冷ややかに一瞥した。
「君は今、冷静さを完全に欠いているようだな。 そんな風に頭に血を上らせて、どんな無礼を働くかわからぬ男に、 か弱い女性の身柄を引き渡すことなどできる筈がなかろう。 それにフレイアシュテュアは、君のせいで酷く頬を腫らしてしまっている。 女性の貌(かお)に傷を残すなどもっての外だからな、治療の為に教会へ連れて行く」
 そう主張するとランディは、もう用は済んだと言わんばかりに踵を返した。 フレイアシュテュアの身体をガルーシアの背に乗せ上げて、 彼女を守護するように後ろに騎乗する。
 今にも馬を駆って、この場からフレイアシュテュアを連れ去ろうとしているランディに、 エルアンリは慌てて食い下がった。
「おいっ、待て! 待てっ! お前は一体何様のつもりだ!?」
「私はランディ・ウォルターラント。王室近衛兵団騎士隊二番隊の副隊長だ。見知りおけ」
 強く輝く黒い瞳で、傲然とエルアンリを見下ろしながらランディは高飛車に名乗った。
 身分としては平民出身の騎士であるランディよりも、 伯爵家の人間であるエルアンリの方が上だが、この時彼は完全に、 ランディに呑まれてしまったのである。
「帰るぞ、ヴェン」
 ランディはそれ以上エルアンリには構わず、 人垣の中で立ち尽くして固まっているヴェンシナに呼びかけた。
「あっ、はいっ」
「ヴェン、ヴェン、あたしもフレイアみたいにして連れてって」
「仕様がないなあ」
 甘えて首にかじり付いてくるラグジュリエを抱き上げ、 ヴェンシナも少女と共に愛馬に跨った。
 二人の姿を確かめて、ランディはふと、 それまで気にも留めていなかった身なりの良い初老の男が、 引きつった顔つきでこちらを見ているのに気がついた。
「あなたがこの村の村長か」
「そ、そうだが……」
 ランディにいきなり声をかけられて、シュレイサ村の村長はおたおたと視線を泳がせた。
「騒ぎを大きくしてしまったことにはお詫びする。 しかし、あなたのような人が村長では、ここの村人は不幸だな」
 厳しく言い放つランディの言葉に、村長の頬はさらに引きつった。
 ランディは眼差しを廻らせて、自分たちを取り囲むシュレイサの村人たちを見渡した。
 興奮して上気した顔、青ざめた不安げな顔、賞賛する顔、迷惑そうな顔、 面白がっている顔、困惑した顔、顔、顔、顔……。 フレイアシュテュアはそれら全てを恐れるように俯いていた。
 小さな子供をあやすように、フレイアシュテュアの背を軽く叩いてから、 ランディは表情を和らげてもう一度村人たちを見廻した。
「私たちはこれで失礼する。陽が落ちると急に冷え込むからな、 村のみなも風邪を引かぬうちに早く帰るがいい」
 鮮やかで大胆な行動と独特の存在感で、 良くも悪くも村人の心と視線を惹きつけたまま、 ランディはそう言い残して愛馬の腹を蹴った。
 その腕の中に、多くの村人が魔女と呼ぶ、女神の名の娘を抱いて。


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