第十章 「離宮」 4
「失礼致します。アレフキース殿下、フェルナント隊長」
軍人らしいかっちりとした容姿のエリオールは、
きびきびとした動作で王太子の前まで進み臣下の礼をとった。
「どうした?」
フェルナントが簡潔に部下に問う。
「はい、エルミルト市候シーラー侯爵様が、
王太子殿下にご挨拶を申し上げたいとお越しなのですが」
フェルナントは無言のまま、王太子に眼差しを向けて決裁を仰いだ。
いささかも躊躇することなく、アレフキースはすげなく答える。
「シーラー候は私を知っている。今は顔を合わせるわけにはいかない。
お引き取り頂くように」
「畏まりました。何と申し上げればよろしいでしょうか?」
「王太子は旅の疲れが出て発熱。もとより捻った足の具合も芳しくない。
心身衰弱の為、当分は面会謝絶だ。エルミルト市候であろうが、
サテラ【南】州公であろうが例外はない。諸兄には各々静養の意味を熟考し、
自粛をするよう勧告して、今後も見舞いは全て遮断するように」
「はい、承知しました」
エリオールは従順に諾った。疲労の影など微塵も感じられない明晰な声で、
淀みなくすらすらと指示を出すアレフキースに、フェルナントは苦笑した。
「もし噂を聞かれたら、お怒りでしょうなあ」
「構うものか、ささやかな意趣返しだよ」
冷徹に輝く黒い瞳を細めて、アレフキースは立てた片膝の上に頬杖をついた。
上官と主君の短いやりとりが終わるのを待って、
王太子の左の足首に巻かれた白い包帯を眺めてから、エリオールは重ねて報告した。
「それから、離宮の者に呼ばれたということで、最前から医師も控えているのですが」
「医師も不要だ。私の容態について、うっかり口を滑らされては面倒なことになる。
近衛二番隊の騎士の中には、王太子の主治医を兼ねる者がいると言って帰してくれ」
「はい」
「はったりに過ぎませんが、あながち嘘でもありませんな」
フェルナントは部下の一人を視界に捉え、意味ありげに頷いた。
「キーファー」
「はい」
主君に名を呼ばれ、扉付近に控えていたキーファーは、
進み出てエリオールの隣に畏まった。
「そういうわけだから、しばらく私の相手を頼むよ、キーファー」
「承知致しました」
アレフキースの意を酌んで、キーファーは瞳を輝かせた。
有能な医師である父親の手ほどきで、医者の卵としての資質も持つキーファーは、
未来の国王の主治医候補として、宮廷の医師団からもその将来を嘱望されていた。
「では、シーラー候の接待は、殿下に代わって私が務めて参りましょう。
エリオールは案内を。キーファーは殿下を病人らしく見せるよう尽力してくれ」
「お任せ下さい、フェルナント隊長」
エリオールを従えて去ってゆくフェルナントを見送り、
キーファーはアレフキースに手招かれて、主君の寝台の傍に近づいた。
「せっかく静養に来たというのに、どうやらゆっくり休ませて貰えそうもないらしい。
病人のふりをしている間に調べておきたいことがある。手伝ってくれるね」
「はい、何なりとおっしゃって下さい」
アレフキースの言葉に、キーファーは嬉々として答えた。
「では、これを。君が届けてくれたヴェンシナからの手紙だよ。
君に預けておくのでしっかりと目を通しておくように。
頼みたいことは二つ。まず、レルギット領伯ブルージュ伯爵の次男、
エルアンリ・ヴォ・ブルージュという男についての情報が欲しい。
それともう一つ、シルヴィナに係わる資料を集めて欲しい。
伝説伝承に関する文献は勿論だが、特に、十八年前の盗賊事件の顛末を詳しく知りたい。
州府に当時の記録が残されている筈だ」
「十八年前の盗賊事件? ヴェンシナが両親を亡くしたという事件のことですか?」
「そうだよ」
不思議がるキーファーにアレフキースは短く答えた。
有無を言わさぬ主君の眼差しを受け、キーファーはそれ以上問わずに、
しっかりと頷いてみせた。
「わかりました。なんとか持ち出せるよう交渉してみます」
「手に余るようならフェルナントに相談して、何人かに応援を頼みたまえ。
君には私の主治医のふりもしてもらわねばならないからね」
「はい、そうさせて頂きます」
アレフキースの提案に、キーファーは素直に応じた。
「では、私は今から寝込むから、後のことは宜しく頼むよ」
そう言って、アレフキースはガウンに手を掛けた。
小姓が一人素早くやってきて、王太子の脱衣を手伝う。
「あの、殿下」
「どうした、キーファー?」
寝台に身体を休めながら、アレフキースはキーファーに先を促した。
「差し出がましいことを申し上げますが、
ヴェンシナに返事をお書きにならなくてよろしいのですか?」
「必要ないだろう。我々が今エルミルトにいるのを知ることが、
彼には何よりの励みになるだろうからね。
だいたいヴェンシナは心配性で過保護に過ぎる。
些細なことにまで気を回し過ぎるから、胃を壊すようなことになってしまうのだよ」
ヴェンシナに対し幾分厳しい批評をしてから、アレフキースはふと表情を和らげた。
「それにヴェンシナは、困っている顔が一番に可愛らしい。
想像して楽しむのも一興だろう」
それがアレフキースの本音であることを、キーファーは信じて疑わなかった。