緑指の魔女


第十六章 「王子」 3


「国王は、私の休暇中の行いについて、何をどこまで知っている?」
 ややあって、ランディはアレフキースに尋ねた。
「まだたいしたことはお知らせしておりません。決闘があったのは今日のことですし、 陛下にご報告をするよりも、あなたのお気持ちを確かめる方が先決だと思いましたので」
「そうか、陛下は……、ご存知なのだろうか?」
 アレフキースの答えに、ランディは考え深げに眼差しを伏せた。
「何をですか?」
 アレフキースは怪訝そうに促した。
「シュレイサのような辺境の村において、民が頼みにし、恐れてもいるのは、 国王ではなく領主であるということを。シュレイサの村長が言っていたのだ。 いざという時に村の危機を救い、守るのは、国ではないと――」
 ランディはシュレイサ村の村長や、サリエットと交わした会話を思い出していた。 エルアンリを増長させ、フレイアシュテュアが拘束を余儀なくされた背景には、 エルアンリ一人の私欲や私怨に止まらない重要な問題が根付いている。
「領を治め、領民を守るために領主がいるのです。 あながち間違った認識とは言えないでしょう」
 ランディの反応を確かめながら、アレフキースは敢えて一般論を述べた。
 ランディは顔を上げて、アレフキースの目を見据えた。その印象的な黒い瞳が、 磨きぬかれた黒曜石のように凛とした高潔な光を放つ。
「それでも、領主が領民の生殺を握ることで、民を萎縮させ、 エルアンリのような男に専横を許してしまっている……、 こんな馬鹿げた歪みを見逃していて良いのだろうか?  フェルナント、お前の故郷でもそれは同じなのか?」
「難しいことを聞かれますなあ」
 フェルナント・ヴォ・フェルシンキもまた、 その名が示すとおりにヴォルファリエン【伯爵家】―― エルアンリと同等位の領伯の血筋である。 ランディの問いに、フェルナントは言葉を選びながら慎重に答えた。
「私はエルアンリのように、領内の娘を召し出させたことはありませんが、 確かに望めば、それは叶うかもしれませんな。辺境の民にしてみれば、 王都は遥かに遠いものです。噂を伝え聞くだけで、ご尊顔も存じ上げぬ国王陛下よりも、 町や村を直に支配する領伯は、民にしてみればずっと身近で、 場合によっては脅威に思えることもあるのでしょうな」
「なるほどな。だが、王都の民も辺境の民も等しくデレスの民だろう?  王が守り統べるのは、デレスの国土に住まう、全ての国民でなければならぬはずだ。 領伯に与えた権限が、時に民を虐げることがあるというのなら、 王はそれを是正しなくては」
 ランディの主張を聞き終えて、アレフキースは穏やかに目を細め、 満足そうに微笑した。それは従兄弟を兄と慕う弟というよりも、むしろ、 弟の成長を嬉しげに眺める兄の表情である。
「王宮に戻られたら、直接陛下とお話しになられるとよろしいでしょう。 きっかけは何であれ、あなたが国の統治に関心を持たれたことを知られたら、 おそらくお喜びになられますよ」
 フェルナントも感慨深く頷いた。
「誠に結構なことです。ヴェンシナの苦労も報われるというものですな」
「……大仰だな」
 ランディは照れ隠しにそっぽを向いた。アレフキースは微笑みながら続けた。
「休暇はもう、お終いです。ブルージュ伯父子(おやこ)の手前がありますので、 トゥリアンを離れるまでは、あなたをランディとお呼びしておきますが 、ひとまずエルミルトに到着次第、本来の名とお姿に戻って頂きます。 シーラー候も二番隊の騎士たちも、みな心得てはおりますが、 あなたがいつまでも近衛の制服を召しておられると、 どうやら落ち着かない様子ですからねえ」
「私もいささか居心地が悪いですなあ」
 アレフキースの言葉を受けて、フェルナントも率直な感想を述べた。 ランディは制服の胸元を掴み、拗ねるように言った。
「せっかく着慣れてきたのになあ」
「思いの外似合っておいでですけどね、人には一人一人に、 身の丈にあった衣服というものがあるものです。 私もいい加減に身体が凝ってきました、早く肩の荷を降ろしてしまいたいですねえ」
 アレフキースは自分の肩を揉み解す仕草をしてみせた。 ランディは揶揄するような眼差しを彼に向けた。
「お前はたいがいに、堂に入っているように見えるぞ」
「だからこそ嫌なのですよ。下手をするとこのまま一生、 この役を押し付けられてしまいそうですからねえ」
 うんざりした様子のアレフキースに、ランディは頬を崩した。
「それも悪くなかろう。その時は私が支えてやる――ランディとして」
「絶対に御免被ります」
 ランディの申し出を、アレフキースは即断で跳ね除けた。
 僅かながら危ぶんでいたが、変わらぬ絆で結ばれている様子の王太子とその従兄弟を、 フェルナントは苦笑しながら、守護者のような眼差しで見守り続けていた。


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