緑指の魔女


第十七章 「使者」 3


 キーファーはヴェンシナの肩を励ますように叩いてから、 先ほどからずっと俯きがちに黙りこくって話を聞いていた、 フレイアシュテュアに視線を向けた。
「フレイアシュテュアさんとおっしゃるお嬢さんは、あなたですね?」
「……はい」
 キーファーに名を呼ばれて、フレイアシュテュアは顔を上げた。
 フレイアシュテュアの緑と琥珀の色違いの目が、キーファーの眼差しを静かに受け止める。 清楚な面差しをした、素晴らしく綺麗な娘であることにはとうに気付いていたが、 その不可思議な瞳に見つめられて、キーファーはどきりとした。
「ええと……、あの方から、頼まれてきたことがあります。 もしも、故郷を離れて神の御許でお暮らしになりたいという、 あなたの気持ちにお変わりがないのなら、あなたがミルズ【東】州にある フレイア尼僧院へ移れるよう、手配をするようにと」
「フレイア!?」
「尼僧院って……何だい、それ?」
 キーファーを介して伝えられたランディからの申し出は、 教会の彼女の『家族』に波紋を投げかけた。 フレイアシュテュアは驚きに目を見開き、そして――、 シルヴィナ【精霊の家】の森の泉の傍で、ランディと交わした会話を思い出した。
「エルアンリ様のものにならずに、もしも自由になれるとしたら、 どうしたいかと聞かれて……。その時に、そうお答えしたの……」
 誰に言うともなく、フレイアシュテュアは告白した。 真っ直ぐに心を射抜いたランディの真摯な瞳、 抱き締める腕の強さと温もりも思い返されて、恋しさに胸が締め付けられるようだ。
「どうして!? フレイア?」
 ラグジュリエは小さな手で、フレイアシュテュアの両手を握り締めた。 少女はフレイアシュテュアの幸せの為に、彼女が村を離れることを望んでいたが、 それは決してこんな形でではない。
「フレイア! ランディに、本当に言いたかったのはそんなことじゃないんでしょ!」
「……だけど、それ以上のことなんて、望めなかったもの……」
 詰め寄るラグジュリエに、フレイアシュテュアは切なく答えた。
「フレイアはこの村にいるのが、さすがに辛くなったかのう……」
 少し寂しげにエルフォンゾは呟いた。 フレイアシュテュアは肉親のような慈しみを絶えず与えてくれた、 名付け親でもある老牧師を振り返った。
「ごめんなさい、牧師様……。私は酷い、恩知らずですね……」
「いや、構わんよ。フレイアがしたいようにすればいいからのう。 エルアンリ様は懲りないお人じゃし、シュレイサの村人の中には、 フレイアにちいと冷たすぎる者もいるからの」
 エルフォンゾは慈愛深い眼差しをフレイアシュテュアに向けた。 心貧しい村人に魔女と厭われ、領主の息子に目を付けられているこの繊細な娘の行く末を、 老牧師は他のどの『子供』のものよりも案じていた。
「……あなたがシュレイサ村においでになる限り、ブルージュ伯爵様のご子息は、 またあなたをお求めになろうとするかもしれない。 ご迷惑でなければ、ぜひ受けて欲しいと仰せでした」
 フレイアシュテュアの耳には、口上を述べるキーファーの声に、 ランディの低い声が重なって響いた。庇い守る彼の腕が、 今なお自分を包み込んでくれているように感じられて、 フレイアシュテュアの心の中に、 湧き上がるような喜びと愛おしさが満ち満ちてゆく。
「……馬鹿な方ですね、私などの為に、名をお汚しになってしまわれて……」
 愛しい人――と、ヴェンシナには聞こえた。 僅かな幸福の想い出を、胸の奥深くの至高の場所に据えて、 フレイアシュテュアは微笑んだ。
「……尼僧院に参ります。手配を宜しくお願いします」
 悲しいまでに美しい、静謐な微笑を浮かべながら、 フレイアシュテュアはキーファーにその決心を告げた。


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