緑指の魔女


第二十八章 「前途」 3


 そこに居間の入り口から、ランドリューシュの呆れたような声が割って入った。
「ずいぶんと騒がしいですねえ、何をまたヴェンシナに叱られているのです?」
 寝起きの物憂さを僅かに漂わせたランドリューシュに、アレフキースは何やら 企みのある顔つきを見せて手招いた。
「ちょうど良かった、ランドリューシュ。お前に是非とも頼みたいことがある」
「先にお断りしてもよろしいですか? あなたのおねだりなんて、またろくなことでは ないのでしょう」
 穏やかな微笑を浮かべて歩み寄りながら、ランドリューシュはつれなく答えた。
「そう言わずに聞いてくれ。サリフォール公は確か、娘が欲しいとずっと言っていただろう?」
「……アレフキース……」
 アレフキースと、その隣に座すフレイアシュテュアを視界に収めて、 彼の思惑を正確に悟ったランドリューシュは、俄かにめまいを覚えて天を仰いだ。
「あなたは私に、どこまで恥をかかせて下さったら気がお済みになるのです?  私の名で決闘騒ぎを起こした挙句に、そうして得た娘を、今度は妹に迎えろと仰るのか!?」
 怒りを孕み、冷ややかな光を放つランドリューシュの黒い双眸を、 アレフキースは真顔で受け止めた。
「無理は承知の上だ、ランドリューシュ。私はフレイアを陽の当たる場所に置いておきたい。 だが、手放してしまうのも嫌なのだ。その為に、サリフォール公爵家の名と後見が欲しい。 協力してくれないか」
 しばしむっつりと口をつぐんでから、ランドリューシュは眉を顰めたまま、 低い声音で脅すように言った。
「国王陛下は難敵ですよ」
「わかっている。私の父だ」
 アレフキースは平然と答える。ランドリューシュは念を押すように言を継いだ。
「あなたが目論んでおられるのは、前代未聞のことです。この先必ず、良い目が出るとは 限りませんよ」
「前例がなくて何故いけない? 縛りがなくて、むしろ好都合ではないか」
 さも不思議そうにそう答え、アレフキースはさらにいけしゃあしゃあと述べた。
「それにもし、悪い目が出かかったところで、上手く転がし直せば済む話だろう。 何も始めぬ内から心配ばかりをすることはない」
「あなたという方は、どうしてそうわがままで、楽観的になれるのでしょうねえ……」
 深々と溜め息をついた後に軽く頭を振って、ランドリューシュは諦めたように承諾した。
「いいでしょう。どうせ私がお断りしたところで、母上が面白がって飛びつきそうなお話です。 嬉々としてお請けしてしまうに違いありませんからね、便乗して恩を売らせて頂くことに しますよ。ありがたくお思いなさい」
「ああ、感謝する、ランドリューシュ」
「ち、ちょっと待って下さい! 副隊長の妹だなんてっ、殿下はフレイアを、 サリフォール女公様にお預けになるおつもりですか!?」
 激しく狼狽し、血相を変えながら、ヴェンシナは傷の痛みも忘れてアレフキースに詰め寄った。 思いもよらぬ展開に、フレイアシュテュアも明らかに困惑している様子で、 両手の指をきつく握り合わせてただただ呆然としている。
「そうだ。サリフォール公は周囲の人間を説き伏せて、 平民の恋人を夫に選んだような女性だからな。出自だとか家柄だとかいうつまらぬことには 拘らずに、フレイアを可愛がってくれることだろう」
 アレフキースはあえて焦点をずらしてとぼけてみせた。ヴェンシナが確かめたかったのは、 勿論そんなことではない。
「そっ、それはそうかもしれませんがっ……、そういうことじゃなくてっ、 なんだかとんでもないお話をされていたような気がするんですが――!?」
「確かにとんでもないね。王太子の恋人として公に遇し、あわよくば妃に立てられるように、 平民の女性を州公の養女にしてしまえと言うのだから、私からすれば殿下のやり口は、 エルアンリよりよほど悪辣に思えるね」
 アレフキースの大胆な計画を簡潔に纏め上げて、ランドリューシュは皮肉った。
 アレフキースがフレイアシュテュアに提示してみせたのは、ラグジュリエが聞けば小躍りし、 サリエットが知れば羨むような破格の待遇だが、排他的な貴族社会と、 窮屈な公子の身分を嫌っているランドリューシュは、義理の妹にさせられようとしている フレイアシュテュアに対して同情を禁じ得ない。
「ほっ、本気でおっしゃっているんですかっ!?」
 ヴェンシナの声が思わず上ずる。アレフキースはきっぱりと答えた。
「私の結婚が、国家の一大事だということくらい承知している。冗談で言えるものか」
「ですけど、フレイアをいずれ殿下のお妃に――なんってっ、僕にはとてもじゃないけど 想像できませんっ!!」
 頭を抱えて訴えるヴェンシナを見やって、アレフキースは溜め息を落とした。
「仕方なかろう。ランドリューシュを身代わりに立てて、私が王位継承権を放棄できるなら、 ことはもっと簡単に済むのだが、そういうわけにはいかないからな」
「当たり前です! 外戚のお従兄弟君に、簒奪を唆すようなことをおっしゃらないで下さい!」


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