緑指の魔女


番外編 「喧嘩友達」


「婚約おめでとう、サリエット」
 そう言ってラグジュリエは、ずいとサリエットの胸元に、摘んできたばかりの野の花の花束を突き付けた。
「あら、ありがと」
 取り澄まして受け取ってサリエットは、瑞々しい花の香りを胸一杯に吸い込んだ。
「だけど、全然おめでとうって顔じゃないわよね。本気で祝ってくれてるんだったら、もっとにこにこしなさいよ」
「だってとっても急でっ、あたしすっかり驚いちゃたんだもん!」
 ラグジュリエは興奮気味に、淡くそばかすが浮いた肌を上気させて、身振り手振りを大きくした。
「そう? 彼のことは、ずっとみんなが噂してたでしょ」
 受け答えるサリエットは平然としたものだ。空いていた花器に花束を挿して、詰め寄るラグジュリエを振り返った。
「そりゃ、あの人がサリエットのこと好きで……。ご用がなくなってからも何回も、あんたに逢いに村まで来てたのは、あたしだって知ってるけど……」
 口さがなく井戸端会議に持ち上がっていたのは、相手方の熱烈な片想い、という話ではなかったか?
 腑に落ちない顔つきで、ラグジュリエは真意を確かめるようにサリエットを見つめる。
 サリエットの婚約者は、サテラ【南】州府の下級官吏だ。昨年秋の盗賊事件後、シュレイサ村に長逗留して復興支援に携わるうち に、村長の娘であるサリエットに熱を上げた。サリエットが結婚を承諾してくれるなら、婿入りも辞さないという彼の心意気は、 いたく村長の気に入っているとも伝え聞いてはいたが。
「わかったわ、ラギィ、あんたってば妬いてるのね。彼が優しくて頭が良くて人望があって将来性もある人なもんだから。 顔はまあ……、そこそこ十人並みってとこだけど」
 ふふんと鼻を鳴らして、得意げに切り出してはみたものの、サリエットの自慢はどこか空々しくて、ラグジュリエの澄み渡った瞳を前に尻すぼまりになった。
「ううん、そんなじゃないわ。ごまかさないで、サリエット。あんたまだ本当は、ヴェンのことが好きなんでしょ?」
 大人の事情を察してくれないラグジュリエは直情的だ。サリエットは吐息をついて、自らの髪を指先に巻き付けくるくると弄んだ。
「わけわかんない子よねえ……。ヴェンのこの前の帰郷が最後の機会だったのに、ヴェンとあたしの仲が近づくのを、思いっきり邪魔して くれたのはラギィ、あんただったじゃない」
「最後って、どうして? ヴェンはまた再来年の秋に帰ってくるのに」
 きょとんとしているラグジュリエを、サリエットは値踏みするような目つきでまじまじと見つめた。平たかった身体は丸みを帯びてきて、 赤い髪も背丈も、自分とさほど変わらぬ長さまですくすくと伸びているのに……。ずけずけと物を言う小憎たらしい口はあいかわらずで、 血色のいい丸顔に、浮かぶ表情はまだまだあどけない。
「あんたってば本当にお馬鹿よねえ。あのね、あと二年もしたら、あたしはもう二十一になっちゃうの。晴れてヴェンと恋仲に なれたとしてよ、彼はまたすぐに王都へ帰っていっちゃうわ。そうやって離れ離れのままでいてね、その先どれだけ待てばいいの……?  あたしはそんなに気長じゃないのよ」
 一息に言い捨てて、サリエットは傷心を隠すように目を逸らした。ヴェンシナにはまだ未練があったが、シュレイサ村の女の婚期は 二十歳前後と早く、住人は総じて保守的だ。外聞など、意に介さねば楽になれたのかもしれないが、村長の娘として、他の娘たちの 風下には立ちたくないという矜恃を、サリエットは捨て去ることができなかった。
「それにね、フレイアを見ていて、とっても羨ましくなったのよ。あたしの一番は今でもヴェンで、婚約した彼は二番目に好きな人だけど、 あたしのことを誰よりも愛してくれているわ。あたしは一番好きな人よりもね、あたしのことを、一番に想ってくれる人の方がいいの」
 不器用に、けれど、真剣に。かき口説く男の言葉にほだされてみると、惜しみなく心を捧げてくれる、彼の隣は思いの外に居心地がよかった。 サリエットはいくばくかの後ろめたさを抱えながらも、満たされぬ片恋を胸の奥にしまって、父の跡を継いでくれるという、婚約者との未来を選び取ったのだ。


*****


「サリエット……」
 強力な恋敵が一人、勝負から降りたのだ。ただ喜べばいいものを、複雑そうな面持ちをしてラグジュリエは呟いた。 張り合いを無くした様子でしょんぼりとする彼女の姿が、サリエットにはおかしくて、そしてまた、愛しかった。
「だからラギィ、あんたはね、しっかりヴェンを捉まえときなさいよね」
「え……?」
 ヴェンシナは教会の『家族』を大切に思っている。その絆を切らすことさえしなければ、遠く離れた距離も、ラグジュリエの味方となってくれるだろう。
 今はただ『妹』に過ぎないのかもしれない。けれどラグジュリエには、少女から大人の女性へと変貌しながら、ヴェンシナの心の変化を緩やかに待てるだけの時間があるのだ。 その贅沢な可能性を、サリエットは無駄にして欲しくはなかった。
「あたしがね、譲ってあげるって言ってるの。あんたじゃなきゃ嫌よ。もしもヴェンを、他の女に盗られたりなんかしたら絶交だからね!」
「わっ、わかってるわっ!」
 サリエットにきつくはっぱをかけられて、ラグジュリエは奮い立った。
「あのね、あたしね、サリエット」
「なあに?」
「もうちょっと大きくなって、牧師様のお許しが出たらね、王都に働きに行こうって決めてるの。もうあたし、お家のことは全部 できるんだもん。住み込みでできる小間使いとか、下働きのお仕事だっていいわ。探せばどこかね、きっと見つかると思うの」
「ふうん。あんたもそのうち、村からいなくなっちゃうってわけね……」
 ふと、サリエットの脳裏に思い起こされたのは、夢のような馬車に乗せられて、北の都へと旅立って行ったフレイアシュテュアの姿。
「寂しいんでしょ? サリエット」
「そんなわけないでしょ。あんたのその生意気な顔を、見なくてよくなるんだって思ったらせいせいするわ」
 心に過ぎった感傷を押し隠して、つんとサリエットは強がってみせた。村を出て行く者にはその先で、新たなる出会いが待っているのだろう。 けれども送り出す者には、また残される侘びしさが募りゆくばかりだ。
「それはこっちの台詞よ。だけど、サリエットが寂しがるといけないから、三年に一度はヴェンと一緒に帰ってきてあげるわね」
 サリエットの虚勢は意に介さず、ラグジュリエは堂々と宣言した。その恩着せがましい物言いに、サリエットは呆れてみせる。
「そうね、期待しないで待っててあげるわよ。王太子様に負けないように、せいぜい頑張りなさいよね」
 気遣っているのかいないのかわからない、互いの言葉に励まされて、喧嘩友達は笑い合う。
 笑って、笑って、笑って……。心がふわりと軽くなるのと引き換えに、少しだけ、涙が出た。
「……婚約おめでとう、サリエット」
 今度は心から、告げることができた。ラグジュリエの想いが込められた祝福の言葉に、サリエットも素直に頷く。
「ええ、ありがとう」
「幸せになってね」
「なってみせるわ。きっと、ね――」


*****


 金褐色の髪に女神の薔薇を飾って、サリエットが光輝く花嫁になったのは、その年の秋の日のこと。


- Fin -


inserted by FC2 system