歳時鬼


魂集め 〜たまあつめ〜

「よーっと」
 ふらりふわりと、漂う(たま)めがけて、 (わらし)は大きく網を振った。
「全くこの時期は、毎年毎年手ぇのかかる迷子が多うて困るな」
 ぼやきながら、網の中に捕らえられた魂魄をつまみ上げ、腰に下げた籠の中にそうっと放す。青白い月が昇る宵闇の中を、淡く光の尾を引きながら、 迷い魂は蛍のように飛び交っている。

「そっちへ行ったぞ、童」
 少し離れた船の上から、艶やかな女の声がかかった。
「ぼやっとするでないぞ。そこもとがしっかり働いてくれぬと、いつまで立っても終わらんじゃろうが」
 女が差し伸べる指先に導かれ、迷い魂が一つ、また一つと、船の中央に据えられた黒塗りの葛籠(つづら) に飛び込んでゆく。 命儚い夏の夜の虫が、灯に惹かれ集うように。

「……篝火(かがりび)、いっつも思うことやけどな、わしが必死なってせっせと網振らんでも、 おぬしだけでも十分に、間におうとるんやないか」
 天空をゆく船の舳先に軽やかに降り立って、童はやさぐれて座り込んだ。天の河原を駆け巡って、童が一つ、追っている間に、篝火は幾十の魂魄を捕らえている。
「馬鹿を言うな。妾が触れたら最後、生魂(いくだま)は身体に戻れんようになるじゃろうが」
 赤く隈取られた篝火の、黒々とした眼差しの先に、皓と輝く生魂を抱えた、 ひ弱な死魂(しにだま)が浮かんでいる。

「あーあ、じいちゃん、連れてきてしもたんか……」
 童は絡み合う二つの魂を、ふうわりと網で掬い上げた。死魂は童の手の中で、ぎゅうっと生魂にしがみつき、嫌々をするようにうち震える。
「じいちゃん、寂しいんはわかるけど放したれ。その子がこっち側へ来るんはな、もうちいとばかり先なんや」
 言い諭しながら童は、二つの魂魄を引き裂いた。童の手から放たれて、生魂は流星のように地上を目指して降りてゆく。

「……童も大人になったのう」
 悲しげに明滅する、死魂を宥めるように撫でてから、優しく籠に込める童を眺め、篝火はほうと感じ入ったように言った。
「嫌味か。わしはこれまでもこの先も、ずーっとずーっと童じゃあ」
 童と呼ばれる永久(とこしえ)の子供。あの世とこの世の狭間を行き来する、魂魄の送り人。 自分がいつからそんな存在で、いつまでこのまま在り続けるのか、童自身にもわからない。

「……のう、篝火」
「どうした?」
「人は何で迷う? 盂蘭盆(うらぼん)は終わったのに。送り火を焚いてもうとるのに。 何でまっすぐ黄泉(よみ)の世へ、還ってくることができんのや?」
「さてな」
 篝火はそっけなく答え。しかしそれから、周囲に集う幾つもの魂魄を、おもむろに胸にかき抱き、包み込むように微笑んだ。
「人であったことがないゆえ、本当のところは妾にはわからぬのう。……だがのう童、童には、心惹かれるものはないか? 愛しいと、思うものはないか?  懐かしいと、思う場所はないか?」
「ない」
「……童はやっぱり童よの」
 白い喉を震わせて、篝火はくぐもった声でくくっと嗤った。

 篝火が両腕を開いて領巾(ひれ)を振ると、迷い魂は整然と、葛籠の中に収まってゆく。
 その背の向こうを、怨嗟に染まり身を捩りながら、荒ぶる魂魄が行き過ぎてゆった。
「けど、鎮まらん魂は悲しい。戻り忘れた魂は哀れや思う。そやからみな、連れて還ってやらんとな――」
 ぶっきらぼうに言い置いて、童は網を担ぎ直すと、とんと舳先を蹴って荒び魂(すさびだま)を追った。

- 了 -

2006-09.01

  


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