タリクタム=キヤンテ二重結婚


第二章「タリクタムの結婚」2

 殊の外無邪気になる素のシヤナーハの笑み顔に、しばしぼうっとなっていたアズカヤルだが、はっと何かを思い出し、
「ところで、あのう」
 と、当初よりは肩の力が抜けた様子で、控え目にシヤナーハの注意を引いた。

「うん?」
「僕の虎にもお部屋を、ありがとうございました。湯あみの前にちょっと見てきましたが、探検疲れで早く寝たみたいです。僕の気配で起きちゃいましたけど」
「ああ、虎の子も人に懐くのだな、驚いた」
 アズカヤルが飼っているのは、生後四カ月ほどの雄の虎だった。この尋常ならざる愛玩動物のため、人魚宮では王配付き奴隷待機部屋の一つを空けて、 急遽獣舎がしつらえられた次第である。

「はい、とっても可愛いんですよ! ナーハももしよかったら遊んでやってください。
 最初はキヤンテに置いて行くよう言われていたんですが、出発の直前に、兄に譲ろうとしたら大暴れして威嚇して……。 自分とは相性が悪いようだから連れて行けと、辟易した兄が折れてくれたので」
「ラウサガシュとは縄張りが被るのではないか? あやつも結構な猛獣だから」
 常々水妖扱いされているおかえしとばかりに、シヤナーハもラウサガシュをネタにした軽口を叩いた。興に入ったようで、アズカヤルはくすりと笑った。

「うーん、それもあるかもしれませんが、兄曰く、母殺しの仇と気付いているんじゃないかと。僕の通過儀礼の虎狩りで、あの子の母虎を仕留めたのは兄でしたし、 僕が欲しくないと言ったので、兄の部屋にはその毛皮が敷物にしてありましたし」
「案外観念的なことを言うのだな、あやつ。アズは母虎の虎皮を断って、その子虎を保護してやったというわけか」
「ええ、放っておけば死んでしまうので。密林の中で、母虎を倒してしまってから、近くにいるのを見つけたんです。その時はまだ、僕でも抱っこできるような赤ん坊で」
 言いながらアズカヤルは、見えない虎の赤子を抱くような仕種をした。専任の飼育係を付けてはいるが、自身でもその世話に手をかけているらしいと窺えた。

「そうだったのか。慈悲深いのだな、アズは」
「いいえ、偽善です。母虎には、僕が成人するための犠牲になってもらったので。それにあの子の兄弟は、すぐに病死してしまいましたし……」
「偽善で接する人間に、野生の生き物が懐くだろうか? 我は、虎の子の命を惜しみ、その親代わりになってやろうという、 優しい心の持ち主と夫婦(めおと)になれて嬉しく思う。
 アズ、このまま話していたいところだが夜は短い。お互いを少し知れたことだし、始めないか? そろそろ」
「……はい」
 意を決したシヤナーハの誘いに、アズカヤルはごくりと生唾を飲み込んだ。



*****


 すらりと華奢で、細面で、琥珀色の瞳を縁取る睫毛は濃く長く、面紗を外した今となっても、アズカヤルは一見、少女のようだ。
 けれどもその本質は、少女でないこと示すように、熱を帯びたアズカヤルの眼差しは、シヤナーハの唇や胸元をちろちろと舐めてゆく。 それらを一体どうしたいと考えているのだろう?
 焦らされているようでぞくぞくするがいい加減にじれったい。手を伸ばしかけては躊躇しているアズカヤルに、堪りかねてシヤナーハは助け舟を出した。

「アズ、通過儀礼の夜に添い臥しが付いただろう? 悩むことは何も無い。添い臥しに手ほどきしてもらった通りにすればよい」
「手ほどき……?」
「そうだ。ああ! ひょっとして、床入りした状態から始めたのだろうか? 気が付かなくて悪かった。先に同衾してしまおうか?」
 まがりなりにも漂っていた雰囲気を吹き飛ばし、仕切り直しをするために、夜具を捲って中に入ろうとしたシヤナーハを、アズカヤルは慌てて止めた。

「あのっ、いえっ、違うんですっ! 確かに添い臥しは付きましたが、僕そういうのは教わっていなくて!」
「は?」
 理解不能な告白が返ってきて、シヤナーハは混乱した。
 通過儀礼を受けた王子には、その夜添い臥しと呼ばれる大人の女が添い寝するのが慣例だ。 成人するということは、妻妾を持てるようになるということであり、その記念すべき第一歩というわけなのだが。

「おぬしは女子(おなご)と枕を並べて、一体何をしておったのだ?」
「思い出話を、たくさん。僕の添い臥しは乳母でしたので。僕はタリクタムへお婿に行くからもうすぐお別れだね、元気でいてねって言うようなお話も」
「何をのん気に話なんぞ……。相手が乳母だったから、その気になれんかったのか?」
「その気になれなかったと言いますか、その気にならないための乳母でしたので。僕はあなたとの結婚が決まっていましたから、兄が、 添い臥しを付けるのは形式だけのことにして、いわゆるふ、筆下しは、女王陛下のお気に召すままにって……」

 恥ずかしそうにそう語る、アズカヤルに限っては、一歩どころか半歩たりとも進んでいなかったことになる。
 ラウサガシュは、万事一から教えていきたいというシヤナーハの希望を、こういった面でも叶えてくれようとしたわけだ。妙なところで律儀な男である。

「と、いうことは――、初物なのか? おぬし」
「そういうこと、わざわざ、口にしないでくださいっ!」
「品位を欠いて悪かった。嬉しくてつい……。それは大いに結構なのだが、やれ困った」
「何をお困りなんですか?」
「経験のある婿殿に、全て委ねればよいかと思っていたから、我は閨の手順というものを、何も押さえてこなかった」

 手取り足取り、一から導いてやりたい気持ちはあるが、そうしてやるための土壌がない。
 この先どう運べばいいやらと、思案しながらシヤナーハがそう答えると、アズカヤルは信じられないことを聞いたという顔つきで、 大きく(まなこ)を見開いた。

「どうした?」
「……兄は、ナーハが初めてじゃなくても、傷つくなと」
「何をほざいているんだ? あの猛獣は。絞める理由が一つ増えたな」
「それじゃあ本当に?」
「嘘か真か、アズがその身をもって確かめればいい」
「ああ、ナーハ!!」
 アズカヤルはシヤナーハの首に飛びついてきた。ぐらりと態勢を崩したシヤナーハは、そのままごく自然な形で押し倒されることに成功した。

「頑張ります、僕。あなたを痛くしないように。幸せな初夜だったと思い返してもらえるように」
 当たり前のことでこんなにも感激されてしまったのは複雑だが、悪くない流れになっているような気がする。 ぎゅうと抱き締めてくるアズカヤルの、熱と重みにどぎまぎとしながら、シヤナーハはその頬をそっと撫でた。

「教わっていないのにできるのか? 少しでも不安があるならば、指南してくれそうな者を呼んでもよいのだぞ」
「やめてくださいっ!」
 アズカヤルはがばりと起き上がり、シヤナーハの身体を挟んで両腕を付いた。悔しそうに見下ろしてくる瞳の強さに、シヤナーハの鼓動が跳ねる。

「僕はれっきとした成人男子なんです。実地で試したことこそありませんが、何も知らない子供のままで、お婿に来ただなんて思わないでください」
「そっ、そうなのか?」
「はい。今日のこの夜のために、耳目は広く抜かりなく」

- continue -

2017-06-17

  


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