快適温度


快適温度 2


 そんなこんなで幸福な日々は過ぎていく。
 気がついたら、あっという間の一週間。平穏無事に、言いたいところやけど、予想外のとこで深刻な問題が浮上した。
 太り気味の俺は暑がりやけど、冷え性の日向子は寒がりで、室温を何度にしとくかで、笑うに笑えん話し合いが必要になったんや。
 今の温度は二十五度。上下から二度ずつ歩み寄って、さらに一度、大まけにまけて譲ってもろたとこで、俺と日向子は妥協した。 おかげで『ぽんちゃん』な俺は開放的な薄着やけど、日向子は夏服の上に長袖を重ねて、ちょっとちぐはぐな格好で過ごしてる。


*****


「ひなは今日、何してたんや?」
 晩飯を食べながら、それを聞くんが日課になった。今日のおかずは鶏の唐揚げに、 ブロッコリーのおひたしと、具だくさんの味噌汁や。
「午前中は雑誌見て職探ししてね、ほんで昼からは家の用事しとったよ」
「そうか、ええ仕事見つかりそうか?」
「んー……、まだようわからへんわ。焦らんとのんびり探そう思て」
 地元姫路を離れて、大阪で俺と二人暮らしすることを決めて、日向子は三年勤めた会社を辞めてきた。本人曰く、きっちりと仕事の引き継ぎをして、 しっかりとボーナスが出るんを待って、円満退職してきたらしい。
「せやな。こんな時やないとゆっくりできひんねんし、慣れるまでちょっと休んどったらええわ。このへんの道はだいぶん覚えたんか?」
「うん。今日はねえ、チラシ入っとったから駅の向こうのスーパー行ってきたんよ。行きがけに神社があったから、ちょこっと寄ってお参りしょったわ」
「神社? そうゆうたら駅の近所にちっちゃいのんがあったなあ。ひなはあんなとこまで行ってきたんか」
 味噌汁をすすって、俺は通勤途中の車窓から見える神社の境内を思い浮かべた。市街地の谷間に埋もれかかった古い社。都会の小さな森のように、生い茂った緑の梢と歴史を感じる色褪せた鳥居。
「自転車乗っとったからね、たいしたことあらへんよ。 ほんでな、ぽんちゃん、そこの神社でなあ」
「何や?」
「来週の金曜日、夏祭りしようねんて。参道から駅らへんまで、ぎょうさん夜店が出るんやて」
「ふうん」
「ふうんて、それだけ?」
 期待を込めた眼差しで、日向子はおねだりをするように、白飯を掻き込む俺をじいっと見つめた。
「……行きたいんか? 祭り」
 口の中のもんを飲み下し、唐揚げを箸でつまみ上げながら尋ねたら、 日向子はこっくりと頷いた。
「うん。行きたいなあ、お祭り。食べたいなあ、りんごあめ」
「そんな好きなんや、りんごあめ」
 その子供じみた理由が可愛くて可笑しくて、俺はちょっと笑ってしもた。
「だって、りんごあめゆうたら、お祭りでしか買われへんねんで。この機会を逃したら、今度いつ食べれるんかわかれへんねんで」
 むきになって力説する日向子に、俺はさらに笑いを誘われながら約束した。
「わかったわかった。ほな、行こな」
「うん」
 答える日向子の顔が、ぱあっと輝いた。
「嬉しなあ、お祭り。お祭り。浴衣着ていこかな」
 浴衣、と聞いて、俺は思わずでれっとした。
「おっ、浴衣か、ええなあ……。そうや、俺あれ一回やってみたいんや。帯引っ張って解きながら、女の子くるくる回すやつ」
「……悪徳代官ごっこ?」
「それやそれや」
「やらしなあ、もう。悪徳代官役やったら、やったげてもええねんけど」
 呆れながら日向子は、俺の夢を壊すような提案をしてくれた。
「ちゅうことは、あれか、俺が町娘するんか?」
「そうそう、『あ〜れ〜』て。ちゃんと可愛く回りねー」
「いや、絶対無理やし」
 そんな具合に阿呆な話ばっかり、しばらく食卓に乗っけてから、日向子は晩飯の終わりがけに来週末の予定を確認した。
「ほんならお祭りの日は、駅で待ち合わせしょーか? 電車の時間わかったら、私迎えに行ったげるし」
「ええわ。鞄邪魔やし、スーツ着てたら暑いやろから一旦家帰るわ。金曜やったら七時なる前に戻れる思うから、ひなは出かける用意して待っとってくれるか」
「うん。ほんなら、浴衣着て待っとったるね」


inserted by FC2 system