発条王の悔悟


第三話「発条王の願望」

 工房に籠ったエヴァンスランスは、早速カーラの背中を開いて、ユーラファミアが言うところの『お風邪』の原因を探っていた。 思った通り、発条(ぜんまい)の巻き過ぎで部品が壊れてしまっているようだ。 細心の注意を払って、自鳴琴(オルゴール)部分の解体をしていると、侍従がグロウワットの来訪を告げた。
「あー、うん、通してよいぞ」
 エヴァンスランスのおざなりな返事を受けて、侍従が下がったのと入れ替わりに、近衛に付き添われたグロウワットが入室してきた。

 普段は遠い故宮に住まうグロウワットだが、エヴァンスランスの書状を通して宰相リリアゴタールからの要請を受け、十日ばかり前から王宮に滞在中であった。 それはこのメリーナの王宮で、二日に渡り開催された同盟評議会の、前後に行われた歓迎会や親睦試合等々において、ヌネイル王家の成員として、 各国から訪れていた国賓をもてなすためである。
 都合よく利用したい時だけは呼び出して――と、『大公派』の人々は、リリアゴタールの傲慢にたいそう腹立しているそうだが、同盟国の要人に顔を売っておくのは、 グロウワットにとっても利があることである。そうしてまた、ヌネイル宮廷の内紛を、はっきりと他国に示すべからず、というのは、 両派の意見の一致するところであり、『宰相派』も『大公派』もこれらの期間中だけは、対立を表沙汰にせずなんとか折り合いを付けていた。

「作業中のところ、お邪魔を致します、叔父上」
「うむ」
 世間には政敵同士と見なされている甥を迎えて、エヴァンスランスはさすがに手を止めた。 とはいえエヴァンスランス本人に、そんな意識はさらさら無くて、険しい目つきをして、そのままこの場に居座っている、自分付きの近衛に首を傾げる。
「何をしておる? 案内が済んだならば下がってよいぞ」
「はっ……、しかし――」
 まるで危機感の無い発条王の声掛けに、「しかし」の先を近衛は言い淀んだ。そんな彼を不快げに見やりながら、 グロウワットは丸腰の身体を強調するように肘から先の両手を広げてみせた。

「剣は既に預けた。身体検査も受けてやった。甥が叔父に面会するだけのことでものものしい。そなたらはこれ以上、私にどんな屈辱を科すつもりか?」
 グロウワットの口から発された思いがけない単語に、エヴァンスランスはぎょっとした。
「身体検査……とな? そちらはグロウワットに、そんな馬鹿げた真似をしおったのか!」
「はっ。それは、王后陛下のお言い付けで――」
「いくらアンリシャンテの言い付けとて、やっていいことと悪いことがあろう! グロウワットは王族、大公であるぞ!」
 大公だからこそではないか――とでも主張したげな近衛を、エヴァンスランスは追い遣るように工房の外へと下がらせた。 こうして周囲が勝手に壁を築いてしまうから、グロウワットとエヴァンスランスの関係は、どんどんとおかしくなってしまったのだ。

 国教会が一夫一婦制を厳しく唱える【四季神】(ルーディル)教徒の国ヌネイルに、 妾腹の王など表向きには存在しない。誰もが真実を知っていても、この世に産声を上げたその直後に、生母の手からもぎ取られたエヴァンスランスは、 公的には先王の嫡出の第二王子とされていた。
 とはいえ正真正銘の嫡男である、第一王子との差別化は歴然としていて、心無い宮廷雀のおしゃべりから、 幼少のうちに望まれない子であるという自身の立場を悟ったエヴァンスランスは、 異腹兄(あに)の敵であったことは一度もなかった。 異腹兄もまた、ある日突然引き合わされた年の離れた異腹弟(おとうと)を、無責任な父王や、 無関心を貫く母后の分まで不憫がり、可愛がってくれたので、グロウワットの両親が健在であった頃、若い叔父と幼い甥との関係はすこぶる良好だった。
 人格者である異腹兄を尊敬し、いずれ臣籍降下を願い出ようとしていたエヴァンスランスが、 発条仕掛けの玩具を次々と作り出してくれる夢の工房に、小さなグロウワットは瞳を輝かせながら足繁く出入りをしていたものだ。

 その関係が軋み始めてしまったのは、異腹兄夫妻の死がきっかけであったのか。それともそれ以前に、 エヴァンスランスが『白鳥姫』アンリシャンテに一目惚れの恋に落ち、
「あたくしの言うことを何でも聞いて下さるなら、殿下のお妃様になって差し上げてもよろしくてよ」
 という、もしもあの日あの時に戻れるならば、即座に前言撤回をして逃げ出すに決まっている求婚の答えに、一も二も無く頷いてしまったせいなのか……。

 変えるつもりのなかった叔父と甥との関係は、突然襲った王家の不幸と、周囲の思わくにより変容せざるを得なかった。
 血の繋がった遺族同士でありながら、悲しみを分かち合うことすらできず、互いの取り巻きにより引き離されているうちに、快活な少年であったグロウワットは、 (かげ)のある青年へと成長を遂げていた。



*****


「王后陛下のお言い付けには一理ある。近衛に私を見張らせておかなくてよかったのですか?」
 エヴァンスランスと二人残された工房で、グロウワットは皮肉るように片側の口の端を上げた。 そうすることで、両親の良いところが上手く混ざった、秀麗な眉目が嫌な感じに歪む。エヴァンスランスはそれを非常に残念に思う。
「丸腰なのであろう? そなた」
「ご覧の通りに。まあ、帯剣などしたところで、ろくに剣も振れない身体でもありますが。格好だけは付けておかないといけませんのでね」
 グロウワットの身体には、昔負った大怪我の影響で、右肩を大きく動かせないという後天的な障害がある。 よって現在のグロウワットは、扱うものによって左右の手を使い分ける両利きだ。

「ならばよかろう。余と二人である方が、そなたの口も軽くなろうに」
「叔父上がそれをお望みでいらっしゃるなら、私に異存はございませんよ。先ほどの近衛らもそうですが、『宰相派』の者たちは、 私が何をしたというわけでもないのに、人を親の仇のように睨んでくるからいけ好かない。私からすれば、一体どちらがという話でしてね――」
「グロウワット、それはあんまりにも軽すぎる!!」
 例えから入った際どい話題に、エヴァンスランスの血の気が引いた。 勝手知ったる叔父の工房で、適当な椅子を引いて腰掛けながら、グロウワットはくつくつと笑う。

「左様で? これは失礼つかまつった。叔父上を楽しませる軽口の匙加減は難しい」
「そうかのう」
「そうですよ。そのように毎日、毎日、あれやこれやで気を使い、なのにお后に怒鳴り散らされて、神経を削られていてはお疲れでは?  熱い柔肌で癒しをくれる、愛妾でも持たれてはいかがです?」
 悲運の大公として同情を集め、間違いなく相手を不幸にするからと身を固めることはせず、幾らでも寄りついてくる女たちを入れ食いにしている、 グロウワットらしい意見であった。『宰相派』に属する男たちの、グロウワットに向ける視線が刺々しいのは、 ヌネイル随一のもて男に対する嫉妬が含まれているからというのも、あながち嘘ではないかもしれない。

「そんなことをしたら、可哀想ではないか!」
「可哀想? 良妻には程遠い、あの王后陛下ですよ? 浮気の一つや二つ、されたところで自業自得でしょう」
「あの后であるからして、可哀想なのではないか。余が愛妾なんぞを作ったら、 アンリシャンテはその女人(にょにん)を、いびり殺してしまうに決まっておる!」
「ああ、そっちが、可哀想なわけですか……。ならば肝の据わった女を選べばよろしい。女性とは案外に逞しいものですよ」
 グロウワットの提案に、エヴァンスランスは想像だけでげっそりとした。会話をしながら作業に戻ろうと、外していた鼻眼鏡をかけ直す。

「のう、グロウワット、アンリシャンテの向こうを張れるような、性格のきつーい女人を囲ったところで、果たして余が癒されると思うかね?  猛女二人に挟まれて、誰よりも余が可哀想なことになろうよ。
 それに余は、ご婦人と同衾して何やらをするよりも、こうして機械をいじっている方がずっと楽しい。もしも許しを貰えるならば、 美女たちが妍を競う娼館なんぞよりも、名工たちが切磋琢磨する工房に入り浸りたいものであるよ」
 ちまちまとした手作業を再開させながらの、エヴァンスランスの願望は覇気のないこと甚だしい。 手近にあった螺子回しを取り上げながら、グロウワットは呆れたように言った。

「叔父上は本当に機械馬鹿ですね。そのようでいらっしゃるから、『発条王』などという、あまりありがたくない渾名をもらうのですよ」
「そうかねえ? 気に入っておるよ、余は。ヌネイルの国民は余のことを、実によくわかっておる。知っているかね。 余は子供の頃、ベンジーニ塔の機械技師になりたかったのだよ」
「ベンジーニ塔! 高貴な狂人や国事犯を収監する、血みどろの監獄ではありませんか。まさか叔父上は、断頭台や拷問器具にまで興味がおありで?」
「いやいやいや、ベンジーニ塔が、そんなおどろおどろしい場所だとは、まるで知らなかった子供時代の話だよ。 あの塔の大時計を設計したのが、余の実の祖父であるのだと、侍女たちが噂をしているのを小耳に挟んだものでね」

 エヴァンスランスの生母は、乳母として我が子に仕えることすらできない、平民の娘であった。
 件の大時計の除幕式の際に、ほんの思い付きから監獄に泊まってみたいと言い出した先王に、真夜中になって、やはりここでの独り寝は怖いと添い寝を命じられ、 大の大人でありながら、怖い怖いとしがみついてくる国王に、
「今されていることの方がよっぽど怖いわ!!」
 とは言い返せないまま夜を明かして……。まあつまり、男と女が褥を共にして、行きつくところまで連れて行かれてしまったというわけだ。

 怖さに任せ、欲望に負けて、未婚の娘にそんな非道を働いておきながら、エヴァンスランス同様に気の弱かった先王は、浮気を知った后の怒りに堪えかねて、 さらなる非情を重ねていた。純潔を散らしてしまっては、ろくなところに嫁にもゆけぬだろうと、こっそりと連れ帰り愛妾としていたその娘を、 エヴァンスランスを産ませた直後にお払い箱としたのである。

 エヴァンスランスが技師と機械に興味を持ち、まずは時計をばらして組み立て直すということを、始めたのもそれからだ。 もともと聞き分けが良く手がかからず、周囲から放っておかれがちな子供であったエヴァンスランスは、すぐにその一人遊びにのめり込んだ。
 祖父だという技師に弟子入りすれば、生んだばかりの赤子を取り上げられて、一生分の恩給だけは与えられ、ひっそりと市井に戻されたという顔も知らない実母に、 いつの日か会えるかもしれないと子供心に思ったのだ。

「人はなかなか、思うようには生きられないものですよ」
「……深みが違うのう、そなたが言うと」
 エヴァンスランスはしみじみとそう漏らした。
 こうなる筈ではなかった今を生きているのは、グロウワットも同様だろう。派手な女遊びもおそらくは、彼の自暴自棄の表れだ。 日陰者の大公という現状は、世継ぎの君として厳しくも大切に育まれ、日の当たる場所で過ごした子供時代には、まるで予想できなかった未来に違いない。
 それを考えれば、その思いがより強いのは、エヴァンスランスよりもこの甥の方なのかもしれなかった。

- continue -

2015-12-09

  


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