黒衣の女公爵  


第八章 「新年」 3


 そして数刻の後――。
 グネギヴィットのもとへ訪れた庭師長は、振る舞い酒で鼻先をほんのりと赤く染めていた。
 エトワ州城の庭師長はソリアートンと同世代。執事と同じくサリフォール家の四代の当主に仕えてきた古株である。職人気質の庭師長は表情の乏しい仏頂面をしているが、決していつも不機嫌なわけではない。
「新年おめでとう、庭師長」
「はい、グネギヴィット様。新年のお慶びを申し上げます」
 多少の酒が入っていても、慶賀の挨拶であっても、庭師長の質(たち)そのままに声の響きは堅苦しい。
「わたくしは叱る為に呼びつけたのではないのだから、そんなにも畏まってくれなくていい。もう少し楽にしていなさい」
「はい」
 一応のこと声をかけてはみたものの、生え抜きの使用人である庭師長に、若い女主人の私室で寛げというのは土台無理な話なのだろう。四角四面な態度を改めさせることは早々に諦めて、 グネギヴィットは労いの言葉を続ける。
「庭師長を始めとして、城の庭師たちの働きには日々多くの安らぎをもらっている。規模こそ違えど、エトワ州城の庭の美しさは、王宮の庭園にも見劣るものではないと、わたくしは常々自慢に思っているよ」
「恭悦至極に存じます」
 庭師長の鼻に上った朱の色が、それまでよりも少し深くなって、グネギヴィットには彼が、気を良くしながら不器用に照れているのだと知れた。
「今日届けてもらった、椿の花も、そう――。オルディンタリジンの木は、父なるオルディン【冬男神】と同じで気難しいものなのだろう? あれだけ立派な花を、よくぞ見事に咲かせてくれたね。 兄上が冬になると入り浸っておられた、中庭の椿園のものだろうか?」
「左様でございます」
「そう。兄上はあの園が好きだとよくおっしゃっていた。冬の厳しさをものとはせずに、寒い年ほど美しく咲こうとする、雪中の椿を眺めているのが好きだとも」
 それはシモンリールの生き様にどことなく似ていた。短い生涯を繰り返し病苦に侵されてきた彼は、己の弱さに飲まれることなく、冬の椿のように毅然として在りたかったのかもしれない。
「はい……」
 在りし日のシモンリールを思い出したのか、庭師長はしんみりと相槌を打った。その共感が切なくも嬉しくて、グネギヴィットは庭師長に微笑みかける。
「顔見世にはね、オルディンタリジンの枝を持ってバルコニーに立ったよ。兄上が傍においで下さるようでとても心強かった。ありがとう、庭師長」
「いえ、甚だ恐縮ではありますが、本日の件に関しましては私の発案ではございません。下におります若いのの一人が、新年のご挨拶代わりとして、グネギヴィット様に献上できないものでしょうかと進言して 参りましたもので」
 庭師長の率直な答えに、グネギヴィットの胸がとくりと鳴った。久方ぶりに袖を通している、ドレスの下に潜ませた女心は、甘やかな何かを期待している。
「そうだったの。だがその案を良しとして、ソリアートンに花を言付けてくれたのは庭師長であるのだろう? やはり庭師長にも、礼を言っておかないとね」
「は……、勿体ないお言葉で」
「ところでその、若いの、というのは誰なのだろう? せっかくだから名を聞いておきたい」
 さりげないふりを装いながら、グネギヴィットは核心を尋ねた。庭師長は幾分困ったような顔をする。
「名を上げましたところで、ご存じかどうか……。ああそうだ、覚えておいででしょうか? 昨年の冬にグネギヴィット様が、シモンリール様の寝室にもお見舞いの椿をと、 直接お命じになられたルアンでございます」
「……覚えているよ、その若者のことなら」
 グネギヴィットの心の内に、やはり、という喜びと共に、会いたい、と願う気持ちが芽生えていた。その欲求は自分自身で戸惑いを覚えるほど、むくむくと大きくなってゆく。
 最後にルアンと顔を合わせた日から、思えば一月以上が経過していた。春まではまだ遠いが、大義名分が立つ今なら、彼を召喚する手はずを整えることが叶うだろう。
 しかしグネギヴィットは、ルアンとの対面の場に他人を交えるような真似はしたくなかった。何か酷く大切なものを、彼を人前に呼び付けたその時点で、失くしてしまう気がして。
「グネギヴィット様、そろそろ……」
 ちらちらと時計を気にしながら、側付きの侍女が遠慮がちに刻限を知らせる。了承して頷いてから、グネギヴィットは庭師長に視線を戻した。
「庭師長」
「はい」
「そのルアンという若者に、わたくしからの感謝の言葉をそのまま伝えて欲しい。お前の気遣いを、わたくしはとても嬉しく受け取った。次に空が晴れた日には、 兄上が愛でた椿の花を観に行くことにしよう――、と」


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