黒衣の女公爵  


第十五章 「一門」 3


 グネギヴィットの突然の交際宣言に、数名がぽかんと口を空けた。
「交際?」
「はい」
「……正気か?」
「勿論。正気なればこそお受けして参りました。何故今、という説明が必要ですか?」
「説明はいらん! 正気かどうか聞いたのは、相手の男の頭の方だ! そなたの奇行を知った上で、それでも交際したいなど、相手はどこの変人だ?」
「そんな変人だなんて。ザボージュ・デュ・アンティフィント様、詩人として御高名なアンティフィント公の御子息です」
「まあっ!」
 場違いに黄色い声が上がって、一同は一斉にその主を注視した。紅く染まった顔に、ほほとごまかし笑い浮かべながら、バークレイルの妻テッサリナは、ひらひらと扇を振った。
「ごめんなさい、進めて頂戴」
「サテラの猪公の、『顔だけ』の三男か……!」
 赤らむ妻の顔を横目にしながら、忌ま忌ましげにバークレイルは呻いた。耽美な詩文ときらきらしい容姿で、テッサリナを夢中にさせているザボージュは、常人とは遠くかけ離れた感性を持った、ある意味極めつけの変人である。
「『顔だけ』ということはないでしょう。良いところは他にもあるはずです、多分」
 そんな言い種で、ザボージュを擁護したつもりでいるグネギヴィットに、テッサリナは至極残念な溜め息を零した。
「多分だなんて、つれないこと。アンティフィント家のザボージュ様といえば、わたくしども文学婦人の心の恋人。あの方の書かれる詩のように、今一度愛されてみたいと悶える女は多いのですよ」
「はあ、彼の場合には、身体も恋人なご婦人方が数多くいるのだろうねえ」
「まあシュドレー! 自分のことは棚に上げて!」
「私の情人は常に玄人だよ。女優の生活をみる、という意味では仕事のうち」
 ぬけぬけとそう言い抜けて、シュドレーは椅子の背もたれ越しにグネギヴィットを覗き込んだ。
「私のことはいいさ。当面のところ身を固める予定も必要だってないしね。ガヴィはザボージュ殿の女癖を、承知の上で交際を受けたのかい?」
「ええ。程度の差こそありましても、過去に目を瞑って頂くのはこちらも同じこと。身辺整理はなさって下さったとのことですので、これまでの身持ちについてあげつらうつもりはございません。もっとも、破談にせざるを得ない状況になれば別ですが」
「怖いね、ガヴィは。だけどそれなら私は賛成だ。ガヴィの新しい恋人として、あるいはサリフォール女公爵の婿候補として、彼よりも信憑性の高い相手はいないだろう。王都で噂に上るだけでも上出来だ。しかし彼は、ことガヴィのことに関しては、何があってもめげないね。あっぱれというか何というか……」
 シュドレーの語尾が笑いで震える。情報通のこの叔父のことだ、グネギヴィットの知らないザボージュの逸話を、色々耳に入れているのかもしれない。
「そうねえ、ザボージュ様がグネギヴィットへお熱なのは、白百合に寄せた詩集の数々で知れ渡っていますものねえ。まだ読んでないなら貸してあげてよ、グネギヴィット」
「ありがとうございます、お気持ちだけ。既にメルグリンデ伯母上からお借りしておりますから」
「あらそうなの。まあ、まあっ! ぜひとも感想を聞かせて欲しいわっ! 娘たちと待っているから遊びに来てね、グネギヴィット」
 テッサリナは唯一人、愛読者という特異な観点から、詩文世界の延長にあるグネギヴィットの縁談にこの場の誰より興奮している。ちなみに彼女の二人の娘も、母親に染められて、揃いも揃ってザボージュの贔屓である。
「そうですね、そのうちに。ザボージュも誘ってご一緒に」
「まあ素敵!」
「来んでいい」
 妻の言葉に被せてぶすりと答え、バークレイルは苛々と、ビスケットを噛み砕いた。実にわかりやすい焼きもちである。
「ふうむ、ザボージュ殿か。『顔だけ』の三男か。アンティフィントの姫が王太子妃になる可能性がある以上、姻戚を結んでおくのも悪くはない手か……?」
 軽く険悪になるバークレイル夫妻を尻目に、ぶつぶつと独りごちるように意見したのは三男の叔父マテューアース。彼はエトワ州央兵団の団長として、州都マイナールとその周辺地域の平和維持に務めている。
 役職を理由に、欠席しがちなマテューアースが、親族会議の場にいるのは久しぶりだ。副官に任じ、片腕にしている長男も既に成人しているが、こちらはマテューアース本人が、出席する際には出てこない。
 ちなみに州軍全てを統括するのは州公、つまりグネギヴィットということになる。州公自らが軍の指揮を執らねばならないような事態には、めったなことではならないが。
「しかしアンティフィント家の側にも、似たような思惑はあるだろう。逆にアレグリットが選ばれた場合には、いかに『顔だけ』の婿であろうと手蔓にはなる。厚かましくすり寄ってこられても無下にはできない。わかっているのかグネギヴィット?」
 バークレイルほどではないが、どちらかといえば、グネギヴィットに否定的なエクタムーシュが、マテューアースの言を受け後ろ向きに問いかけた。エクタムーシュとバークレイルは、いくつかの州立企業の代表を務める事業家であり、州公の『押しかけ』顧問である。
「そうですね。その時には、広い心で接し快く引き立てて差し上げるまで。婿の実家と諸共に栄えて、一体何の不都合がございましょう。肝要なのは、こちらが常に上位であり続けること、そうではございませんか? わたくしはその為にでき得る限りの手を打つ、それだけです」
 自らを哀れな恋の奴隷と称しその立場に陶酔するザボージュを、しっかりと尻に敷いておく自信がグネギヴィットにはある。それこそ足や椅子で敷いたとしても、ザボージュならば歓喜しかねない想像ができて少し嫌だが。
「メルの審査は通っているのだし、ガヴィが良いならそれでよろしくない? あたくし当主の決めごとはできるだけ尊重してあげたいわ。ただねえ……、アンティフィント公の『顔だけ』の三男って、シモンが酷く嫌っていた子でしょう? それがねえ……」
「兄上が?」
 初耳である。セルジュアのその発言にグネギヴィットは少なからず驚いた。グネギヴィットのやることなすことに、けちをつけずにおれないバークレイルは、鬼の首を取ったように息を吹き返した。
「そなた知らぬのか? グネギヴィット。シモンリールは生前、しつこくそなたとの交際を申し入れる、ザボージュ殿に何度も何度も断りを入れておったのだぞ。息子を阻止せぬアンティフィント公にも腹を立て、珍しく感情露わに言うておったわ。どうしてもそなたを、アンティフィント家へ嫁にやらねばならぬとしたら、『家付き』の長男か『役付き』の次男、『顔だけ』の三男なんぞは問題外と」
「なるほど、それで、『顔だけ』」
 妙なところで腑に落ちた。実にあの兄らしい評である。
 そもそも、シモンリールは早くから、妹をユーディスディランにめあわせるつもりでいた。だから実際のところは、『家付き』の総領息子ジオロンゾでも、『役付き』の近衛将校キュベリエールでも、問答無用で追い払ったと思われるが。
 その反対に、アンティフィント公爵は、最有力の王太子妃候補であったグネギヴィットを、『顔だけ』は良いザボージュが靡かせられればと、大いに期待するところがあったのではないだろうか。グネギヴィットが后がねの姫でなくなれば、今まさにそうであるように、アンティフィント家のケリートルーゼに機が巡るのだから。
「皮肉な巡り合わせではございますが、『顔だけ』のザボージュ殿であればこそ、気兼ねなく我が一門に取り込めるのです。わたくしがアンティフィント家へ嫁ぐわけではありませんから、兄上もお許し下さるでしょう」
「それもそうねえ」
 セルジュアはあっさりと納得した。この大叔母は昔から、大のシモンリール贔屓である。そして男装すれば兄に似る、グネギヴィットも気に入りである。あえて問題提議をしてくれたのは、草葉の陰にあるシモンリールを思いやってのことであろう。
「煌びやかな容姿に秀でた詩才、異性に人気の社交界の花形、か。いやあ、まるで、美姫の話をしているようではないかね? グネギヴィットが迎えようとしているのは、果たして婿なのか嫁なのか」
「それでよろしいのよ。当主はあくまでグネギヴィットなのだから。なまじ男、男と、沽券に拘るような婿殿では、家庭にも一門にも波風を立てるばかりですわ」
 少々うんざりとした様子で、マテューアースの妻が、悪し様に言うエクタムーシュを皮肉で沈めた。そのまま彼女はグネギヴィットに視線を向ける。
「わたくしも、よい選択だと思います。ザボージュ様以上に、条件の良い縁談が見込める筈はないのだし、上手くやりなさいな、グネギヴィット」
「はい。わたくし自身が、誰よりわかっているつもりです。次があると思うなと」
「次は――、うん、だろうねえ」
 シュドレーの相づちが、一門の得心を集約する。グネギヴィットには権があり財があり若さがあり美貌がある。『マイナールの白百合』であれば、婿入り先を求める部屋住みの公子にとって、あらゆる欲を満たしてくれる垂涎の貴婦人だ。しかしどれだけの男が、自分より遥かに男ぶりのよい、男装の女公爵を受け止められるというのだろう? さらにザボージュとの交際が知れ渡った今、一件でも他の縁談が残っているのか怪しいものだ。


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