黒衣の女公爵  


第十六章 「露見」 2


「近頃は、また、忙しかったの? しばらく会いに来てくれなかったけど」
「えっ!? ……ええ、まあ、はい――すみません……。俺たち庭師も、急な迎賓の準備に追われているもんで。『公爵様のご縁談を盛り上げるぞ。サテラ【南】 の庭には負けないぞ、おー』っていうのが今の庭師の標語です」
「何だそれは」
 乗りのいい庭師の標語にグネギヴィットは吹き出した。自分はどうやら使用人には恵まれているらしい。そうしてルアンはもう、おそらくはソリアートンの通達に よって、やがて訪れる自分の婿候補者が、サテラ州公の子息であることまで知っているのだと気づく。
 笑いながらけれど、何故だろう? しくしくと、胸が痛い……。こんな風に、こんな気持ちになるために、ルアンに会いに来たわけではないのに。
「大丈夫、この城の庭の眺めも庭師たちの腕前も、わたくしの自慢なのだから。サテラ州城の庭に負けてなどいるものか。ザボージュは唯美主義者だから、 この城の庭にはきっと感嘆して下さるだろう。見目の良い方だから、そこらへんで佇んでおられるだけでも、彼自身が絵のように見えるかもしれないな」
「へえ……そういった方なんですか」
 ずきりとルアンの胸も痛む。絵になるほどの美男であるならば、きっとグネギヴィットに似合うだろう。想像しながら凹んでしまう。凹む自分に呆れてしまう。
「逆に言うとね、それだけしか知らない。だから州城へお招きしているんだ」
「そうですか」
 ルアンが気の無い相づちを打つ。膨らまない会話がそこで止まる――。

 このまままた、聞きたくもないザボージュの話を続けられてしまう前に、ルアンは少し話題を転じた。
「王太子殿下のことは、もう、いいんですか?」
「うん」
 グネギヴィットも幾分、ほっとした気持ちで頷いた。何故だか苦しくなってしまう、縁談の話題は避けたかった。終わった恋の話ならば簡単だ。
「お前にはね、行きたくないとか嫌だとか、散々愚痴ってきたけれど、今は王都に行って、わたくしはもう、殿下との恋を想い出にしているのだって、確かめられて 良かったと思っている。新緑祭はね、お前が提案してくれた、男装で出席してきて正解だったよ。みんなすごく驚いていて本当におかしかった――。 わたくしが殿下に未練たらたらだって勘繰られずに済んだし、ずっと王都で被っていた、猫を脱げてすっきりとした。どれもこれもルアンのお陰だな」
「俺は別に――」
「何もしていないなんて、言わないの」
 唇の前に、人差し指を突き立てられてルアンは口を噤んだ。軽く叱るようであったグネギヴィットの黒い瞳が、うろたえるルアンの鳶色のそれを捉えてふわりと和らぐ。
「ルアン、お前はね、きっとお前が思いもよらない内に、わたくしにたくさんのことをしてくれているの。お前がこの城で、わたくしの帰りを待っていてくれたから、 わたくしもアレットも、向かうべき道を過たずに開くことができたんだ」
「アレグリットお嬢様?」
「そう。アレットが王后陛下の人質として、王都に残っていることは知っている?」
「それは、はい。人質だなんて聞こえの悪いことになってますけれど、実質は違うんだってことも一応……」
 噂に聞こえている、アレグリットの実質的な立場を濁してルアンはもごもごと言った。エトワ州城の使用人たちは、うちのお嬢様なのだから、 無理を押されて残されて当然だ、と、アレグリットが王太子妃候補の一人に数えられていることを得意がっている。実際王太子妃に選ばれてよいものか?  については、賛否両論であったが。
「妙な気を遣わなくていいよ。アレットが殿下のお妃候補として働くことは、わたくしの意に沿っているのだから。アレットがそれを承諾してくれたのは、 わたくしにとってのルアンを別の何かだと、勝手に解釈したからだとわたくしは思っている」
「へっ? 公爵様はアレグリットお嬢様に、俺の話をしなさったんですか?」
「まさか話していないよ。話したつもりはないのだけれど、会話の流れでなんとなく、ね……。アレットはお前のことを、仮に『ソリアートン』と呼んでいる」
「『ソリアートン』って、何だって執事様なんですか?」
 一体どういう会話を経れば、庭師が執事に化けるのか? ルアンには皆目見当がつかない。けれどもグネギヴィットに、それを説明してくれるつもりはないようだ。
「さあね。ただ、今のわたくしに『ソリアートン』がいるならと、アレットは本家の姫の役割を果たす気になってくれたらしい。いや全く、『ソリアートン』様々だ」
「全然意味がわかりませんけれど、どこかで俺がお役に立てたんなら、いいっちゃいいんですけど……、何て言うか、吹っ切れ過ぎじゃあありませんか? 公爵様」
 あっけにとられるルアンに、グネギヴィットは、他言無用のアレグリットの秘密を打ち明ける気になった。自分を動かした真実を、ルアンに知ってもらえると、 それだけで楽になれる気がする。
「アレットが、ユーディスディラン殿下のことをお慕いしているというものだからね。可愛い妹の為だもの、吹っ切れてやらないと」
 返す言葉に、ルアンは詰まった。
 グネギヴィットが、この上なく妹を大事に思っていることをルアンは知っている。だが……。
「……姉馬鹿過ぎです、公爵様は」
 ユーディスディランとの別れの涙を、そしてその後のグネギヴィットを襲った空虚さや憂鬱を、逸らすことなく受け止めて、慰め宥めてきたのはルアンである。 グネギヴィットの切ない恋の終わらせ方を、客観的に見つめ続けたルアンであるからこそ、彼女の下したその決断に、迎合してはやれなかった。
 そんなルアンの優しさを察しながら、グネギヴィットは緩く横に首を振る。彼にもまだ、語っていないことはたくさんあった。
「ルアン、昔のわたくしはね、兄上のことが好きで、兄上に喜んで頂きたくて、それで、王太子殿下のお気持ちにお応えしようと決めたんだ。 言ってみればね、不純な動機」
 初めて聞く、グネギヴィットの王太子との馴れ初めに、ルアンは驚いて目を見開いた。
「それって、公爵様は王太子殿下より、シモンリール様の方がお好きだったみたいに聞こえますけど……」
「そう。『好き』に種類があるのだということを、知らなかった頃の話だけれど、わたくしには兄上ほどに大好きで、大切な人はいなかったの。だからお前や周囲には、 どう見えてしまってもね……、止めようとしてできなくて、隠そうとしてできなくて、溢れ出してしまったアレットの想いは、打算で始めたわたくしの恋よりも、 ずっと綺麗で純粋で、報われてよいものだと思っている。それに殿下にだって、一人でも多くの姫の中から、お相手を選ばれるご自由はあるのだし」
 グネギヴィットの妹という存在は良くも悪くも、ユーディスディランの気に掛かっているだろう。母后からお妃選びを迫られている中で、それにどのような感情を抱く のかは、ユーディスディラン自身の問題だ。
「それじゃあ公爵様は、アレグリットお嬢様が、王太子殿下とご結婚なさることになっても構わないっていうんですか?」
「構わない、というよりもね、政略を抜きにしてしまっても、殿下にならば積極的にアレットをお任せしたい。兄上の心境に近いのかな……。 今はこうしてね、お前が『気晴らし』に付き合ってくれるから、わたくしはそれで充分なんだ」
「だけどそれだって、もうできなくなりますよね」
 とても嬉しい言葉を聞かされたような気がするが、グネギヴィットの縁談を思い出してルアンの気は沈む。ザボージュとの交際が順調に進み、 グネギヴィットの婚約が正式に整えば、こんな風に、庭でこそこそ女主人と密会をする、間男もどきの真似など続けてはいられない。


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