黒衣の女公爵  


第二十四章 「審問」 2


 まずはマイナールから早馬を飛ばし、王都に着いてサリフォール公爵邸に届けられていた、具体的な日時の知らせに『応』の返事をして、 グネギヴィットは運命の審問の日を迎えていた。
 ユーディスディランは直前まで執務に就いていたものらしく、好奇に満ち溢れた王宮雀たちの万目を集めながら、グネギヴィットが案内をされたのは、 国王執務室にほど近い、小さな私用の客間であった。順風満帆にゆけば、今頃は王太子妃となっているはずであったグネギヴィットの人生が、 大きく転変を始めた昨年頭の冬の日に、故郷からの便りを握り締めながら、ユーディスディランに帰郷を願ったあの部屋である。

「ようこそお越し下された、サリフォール公」
 予告通りにキュベリエールを配置させ、長椅子で待っていたユーディスディランは、入室後の一礼を終えたグネギヴィットに、立ち上がって握手を求め右手を伸べた。 緊張に身を固めながら、それに歩み寄りはしたものの……、自分もまた右手を差し出すことにグネギヴィットは躊躇する。
「どうされた? そのお姿でおられる場合にも、ご婦人への挨拶を申し上げた方がよろしいか?」
 ユーディスディランは手の平の向きを変え、男の姿のグネギヴィットを揶揄するような微笑を浮かべた。対照的に硬い表情をして、グネギヴィットは断りを入れる。
「いいえ、結構です。見た目通りの扱いをして頂けましたら。本日は、お手柔らかにお願い致します、殿下」
「手加減して差し上げたくなる格好ではないね。さて、どうしようか」
 ユーディスディランの返答から、厳しさが透けて見える。その気持ちを察するに、自身の好む淑女姿でやってきて、形だけでも機嫌を取るようなつもりもないのか、 可愛げのない――といったところだろうか。
 しかし、ユーディスディランの受けが甚だ良くないことを承知の上で、グネギヴィットが男装で出頭したのには、やむにやまれぬ理由があった。 それは馬車の乗り降りの際などに、御者や王宮の官たちに、手を貸されるのを避けるためだ。
 ザボージュに植え付けられ、親族や侍女たちに床に押し込められる要因となっていた、『困った不調』を克服できていない状態で、王都に急ぐ道すがら、 グネギヴィットがずっと考えてきたことがある。
 ザボージュはもう完全に無理。ローゼンワートも無理だった。男性主治医の診察を受けるのにも支障をきたしたし、従兄弟や叔父たち、 馴染み深い爺やであるソリアートンにすらことごとく拒否反応が出てしまった。
 では、ユーディスディランはどうなのだろう――?

 あっ……、駄目だ……。

 恐る恐る延ばした手を力強く掴まれて、固い握手をされた刹那に、グネギヴィットにはそれがわかった。
 強張っていた顔からさらに血の気を引かせて、だらだらと冷や汗を流し始めたグネギヴィットに、ユーディスディランはぎょっとして手を放した。
「何の病気だ!? サリフォール公!!」
「ああ、殿下ならば、もしかして平気かもしれないと思ったのですが……。たいへん申し訳ありませんが、供にして参りましたわたくしの侍女を、 介添えに呼んで頂けませんか……?」
「それは、すぐに、キュベリエール!」
「はい。サリフォール公、どうぞ先に長椅子へ――」
「来ないで!!」
 主君に代わって介助をしてくれようとしたキュベリエールに向けて、片手を突き出しながらグネギヴィットは叫びを上げた。 初めて見るといってよいグネギヴィットの取り乱し様に、ユーディスディランもキュベリエールも目を丸くする。
「あまり似ておられないと思ってきましたが、やはりご兄弟、目の色も髪の色もお近いですし、どことなく面影がおありです。あなたは、近付かれるだけでも駄目です、 キュベリエール様。それ以上は、どうか、お近寄りにならないで……」
 男装にはそぐわない弱々しさを見せながら、グネギヴィットは力なく、近くにあった長椅子にどうにかこうにか倒れ込んだ。 呼気を乱し、額に髪を貼り付かせ、苦悶に歪めた青白い顔でぐったりと。
「グネギヴィット!!」
 ユーディスディランにできたのは、久方ぶりに名前でそう呼び掛けることだけ。どうにかしてやりたいが、自身と握手を交わした直後のこととあり、 再度触れることがためらわれる。
 何もしかねるユーディスディランをグネギヴィットと二人その場に残し、キュベリエールは大慌てで、宮廷医師とサリフォール家の侍女を呼び出しに行った。


*****


 さて、それから。
 主人の急変の報を受け、飛ぶようにして駆け付けたマリカの介抱により、グネギヴィットは落ち着きを取り戻していた。
 王太子とその近衛騎士隊長を相手取り、何をしたのかと詰め寄ることはマリカもさすがにしなかったが、かわりに主人は主治医から、 男性嫌悪症の診断を受けているのだと悲壮な顔つきで訴えて、それを知る由も無く脈を取ろうとして、グネギヴィットを悶絶させかけていた宮廷医師を、 早々にその場から引き取らせていた。
 動悸も呼吸も血色も戻り、滝のような汗も引いていたが、グネギヴィットの右手には、ふつふつと赤くじんましんが浮き出ている。 ユーディスディランはずっと、ずっと、そこから目を離せずにいる。

「とんだ醜態をお見せして、申し訳ございません」
 額に乗せられていた濡れ浴布(タオル)をマリカに渡し、緩めていた衣服と髪の乱れを正させて、グネギヴィットは長椅子に掛け直した。 ここは王宮であり、王太子による審問の席である。容体が持ち直したのなら、いつまでものんびりと休んではいられない。
「あ、いや……」
 じんましん、じんましん、じんましんの文字ばかりが頭を廻り、それ以上、何と答えたものかとユーディスディランは考えあぐねた。 考えても、考えても、今はじんましんしか浮かんでこない。
「申し訳無い」
 じんましんのことで頭がいっぱいで、会話を続けられないでいる主君よりも先に、グネギヴィットと物理的な距離を取っていたキュベリエールが、 そう謝辞を述べ壁際で深々と頭を下げた。
「あんな馬鹿でも弟です。エトワ【北】州城での事件について、一通りのことは吐かせておりますし、本日は、あれの言い分と食い違う証言があれば、 擁護してやろうと思い控えておりましたが、あの馬鹿がしたことが、サリフォール公にここまで深刻な打撃を与えていようとは……。いや面目無い。 うちの馬鹿がいかに馬鹿をして、振られてきたのかが嫌というほどわかりました。誠に面目無い。 うちの馬鹿は、サリフォール公にお断りをされた理由が相当に応えたようで、夜遊びもせず邸に閉じ籠り、抜け殻のようになっております。 それで溜飲を下げて頂けたら……」
「頭を上げて下さいますよう、キュベリエール様。そもそも不実を致しましたのはわたくしでございますし、弟御を暴挙に走らせるような、 きっかけを作ってしまったのもわたくしでしたようですから。わたくしたちは単に、合わなかっただけ……。あるいは、交際を始める時期を間違えてしまったのでしょう。 この件は、今後ほじくり返すことなく、そう収めて下されば。最初から、お家のみなさまにも、そうして頂きたいところでしたが」
 最後にちくりとあてこすってキュベリエールを黙らせてから、グネギヴィットは改めてユーディスディランに向かい合った。

「殿下」
「ああ」
「こんな形で証明を……というのは、我ながらどうかとも思うのですが……。もしも、ただ今わたくしに掛けられております嫌疑が、本当のことでございましたらなら、 わたくしのこのような症状は、おそらく殿下とご交際をさせて頂いている最中に発症していたことでしょう。 どんな狼藉があったかと驚いてらっしゃるかも知れませんが、件の庭師の介入により大事には至らず、ザボージュ様とは結果として、 殿下とほどに発展したお付き合いに辿り着いてはおりません。己の過敏な反応にわたくし自身が、当惑している有様ですので」
「件の庭師……」
 ぼんやりしたままユーディスディランが、言葉少なにそこをつつくと、グネギヴィットはふっと破顔した。 困ったような、自嘲するような、いとおしむような笑みであった。
「いわゆるところのわたくしの恋人でございますね。今わたくしが、唯一人触れ合える男性でもあります」
「それは、お認めになる?」
「ええ。たいへん由々しき事態ではありますが、認めてしまいませんと弁明の続きができませんので。人として……という範疇を超えて、 好いてしまっているのだと気付いたのも、勢い余って恋人にしてしまったのも、ごく最近のことではありますが。つまりわたくしは、 その時々にお慕いしている方でないと、受け入れられない……ということなのだと思います。それをどうにか曲げようとして、叶わなかった結果がこの惨状であるのだと。 殿下と過ごして参りました日々には、殿下の御手からたくさんの幸福を頂戴しておりました。今日のわたくしをご覧になられた上で、それもお疑いになられますか?」
「いや……」
 額を軽く押さえながら、ユーディスディランは頭(かぶり)を振った。
「よく、わかった。サリフォール公、あなたは確かに、潔白でいらっしゃる。そう、結論付けるしかないだろう」
 しかしながら、心を残して別れざるを得なかった過去の恋人に、ごまかしのきかない生理現象で拒絶を突き付けられるのも、 たいがいきついと思うユーディスディランであった。


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