緑指の魔女


第二章 「道程」 2


「シュレイサ村には、明後日着くのだったな」
 見知らぬ村に思いを馳せているのか、心弾ませた様子でランディが尋ねた。やっかいな荷物を抱え込んではいるが、三年ぶりとなる懐かしい故郷が近づいているのだと考えるとヴェンシナも素直に嬉しい。
「そうです。前もって言っておきますけど本当に何もない村ですよ。宿もない田舎ですからね、僕の家……というか、教会に泊まって頂くことになりますから、覚悟しておいて下さいね」
「教会? ああ、ヴェンは親を早くに亡くしているのだったな」
 ヴェンシナは幼少の頃から、シュレイサ村の教会で育った孤児の出身だ。 平民出の騎士は珍しくないが、良家の子弟が多い王太子の側近としては、特異な出自の持ち主といえるだろう。
「ええ、だけど物心がつく前のことですからね。両親の記憶は一つもなくて、僕の『家族』は教会のみんなだって思っています」
「そうか。ヴェンの姉上も、やはり教会で暮らしているのか?」
「はい、そうです。この先もずっとそうなるでしょう。何しろ婚約者が教会の跡取りですから」
「なるほど、花婿は幼なじみの若牧師殿か。堅実な相手を見つけられたようだ」
 姉が掴もうとしている幸福を、本心から祝ってくれているらしいランディの言葉に、ヴェンシナはしみじみと頷いた。
「ええ、カリヴァーは――姉さんの婚約者の名前ですけど――もともと僕の 『兄』 のような人です。 彼になら安心して姉さんを任せられますから、二人が結婚することになって正直ほっとしているんです。僕は、そのう……なかなか村に帰れないですし……」
 ヴェンシナは少し言いづらそうに語尾を濁した。彼らが所属する近衛二番隊の人事に、ランディが深く係わっていることを知っていたからだ。
「ヴェンの配属希望は確か、サテラ【南】州の国境警備隊だったな。今でもその思いは変わっていないのか?」
 僅かに苦笑しながら、ランディはヴェンシナの意思を再確認した。
「いえ、その……はい……、そうですね……。王宮勤めにもすっかり慣れましたし、殿下や二番隊の方々がどうとかいうことはないんですけれど……」
「わかっている。お前は真面目によく勤めてくれているよ」
 ランディは片手を伸ばして、ヴェンシナの肩を叩いた。
「今も私のわがままに付き合って、特別任務中だものなあ」
「そういえば、今までにも機会はいくらでもあったでしょうに、どうして僕の帰省に限ってついてこられたんですか?」
 素朴な疑問をヴェンシナは口にした。ランディは楽しげに答えた。
「お前の故郷は近いからな、シルヴィナ【精霊の家】に」
 ヴェンシナは大きな丸い目をさらに丸くした。
「シルヴィナを見たかったんですか!? 物好きな方ですね」
 シルヴィナは、デレス王国の南に接する、未開の聖域の呼称である。
 美しい形をした壮麗な山と、その裾野を包む広大な深い森。畏怖をこめて 『精霊の家』 と呼ばれるそこには、古代の神が眠っているとも、魔物や精霊が棲んでいるとも云われていた。
「探究心をくすぐる、神秘の場所だと思わないか?」
「そう言って森へ入ったまま、帰ってこなかった旅人や、森の中に逃げ込んで、廃人になって戻ってきた盗賊の話なんかが、僕らの村にはたくさん伝わっていますよ」
 ランディの瞳の輝きに危険なものを察知して、ヴェンシナは軽く牽制した。
「ほお、面白そうだな」
 失敗だ。よりランディの好奇心を刺激してしまったらしい。ヴェンシナは手を変えて、直接的に注意を促すことにした。
「牧師様に頼めば、昔語りをして下さいますよ。魔物の話なんて眉唾物と思われているかもしれませんが、 とても迷いやすい森で、遭難者が多いのは本当ですから、くれぐれも探索しようなんて無茶は止めて下さいね」
「やっぱり駄目か?」
「当たり前です」
 ヴェンシナはぴしゃりと釘を刺した。
「絶対に駄目ですからね!」
「わかったわかった。本当に煩い奴だなあ」
 きつく目を吊り上げるヴェンシナの剣幕に、ランディは譲歩して引き下がることにした。
「それが僕のお役目ですからね。任されたからには、最後までしっかりと全うしてみせます」
 ランディの目当てを知って、ヴェンシナには改めて気合が入ったようである。呆れたような口調でランディは言った。
「仕事熱心だなあ、ヴェンは」
「いけませんか?」
「いいや、しかし、ほどほどにしておかないともたないぞ、胃が」
 ヴェンシナがアレフキースから賜った胃薬を、律儀に飲んでいるのを揶揄して、ランディはにやりと笑った。
「僕の胃を心配して下さるなら、あなたこそお戯れはほどほどにしておいて下さい!」
 ヴェンシナの怒声を乗せて、風は彼の故郷の方角へと軽やかに吹き抜けてゆく。
 二人がシュレイサ村に到着したのは、予定通りその翌々日の、夜の初めのことである。


inserted by FC2 system