緑指の魔女


第九章 「奉仕」 4


「なんだ、ラギィとあのサリエットという娘は、仲が悪いと聞いていたが、 ずいぶん楽しそうではないか」
 三人を見送って、ランディは感想を述べた。
「喧嘩友達なんですよ。一度も顔を合わせない日は、 ラギィもサリィもお互いに少しつまらなさそうにしています」
 フレイアシュテュアは収穫作業に戻りながら静かに答えた。 ランディも彼女に倣い、手を動かしながら会話を続けた。
「サリエットは君とは喧嘩しないのか?」
「私と、ですか? そんな、喧嘩するような理由がありませんから」
「しかし、あのサリエットのせいで、 君はエルアンリに目を付けられることになったのだろう?」
「……ランディは、私のことについて、何をどこまでお聞きになられましたか?」
「君が、魔女などと言われている理由なら、昨夜一通り牧師殿から伺った」
 ランディは隠さず答えた。フレイアシュテュアはためらいながら、 サリエットの言うところの『くだらない噂』に言及した。
「そうですか。では……私が、ひょっとしたら村長の娘かもしれないという、 噂があるのも聞かれましたか?」
「いや、それは……」
 ランディは驚いて、フレイアシュテュアをまじまじと見つめた。 その繊細な顔立ちに、シュレイサ村の村長の面影は無かったが、 言われてみればサリエットの瞳の色も明るい緑だった。
「君の父親が、『村の誰か』ではないかとは聞いたが、そうか、 村長もその中に含まれていたのか」
「私の母は昔、公衆の面前で村長の求婚を断ったんだそうです。 だからといって、どんな仕返しをしてもいいとは思いませんし、 本当にそんな事実があったかどうかもわかりませんけど、 その噂のことをエルアンリ様が知ってしまわれて、 面白がってサリィに言ったそうです。 魔女と呼ばれている村長の隠し子を、代わりに連れて来いって――」
「……」
「だから私とサリィは、喧嘩友達にはなれないんですよ」
 サリエットと喧嘩をできぬことを惜しんでいるのか、 フレイアシュテュアは寂しげに見えた。励ます言葉を探しながら、 ランディは尋ねた。
「村長の娘と噂されることを、君自身はどう思っている?」
「そうですね……、そうあればいいと、思うこともあります。 他のもっと嫌な想像をしなくて済みますから」
 盗賊の娘、魔物の娘、確かにそう考えて思い詰めているよりも、 村長の隠し子と言われている方がずっと気楽だろう。
 フレイアシュテュアは林檎で一杯になった籠を一度地面に下ろした。 そうして重そうに持ち上げ直そうとしているので、 ランディは手を貸して代わりに運んでやった。
「ありがとうございます」
「いや」
 新しい籠を腕に掛けて、さっそくせっせと林檎を採り始めている フレイアシュテュアの傍に戻り、ランディは呪文を唱えるようにして問いかけた。
「マ・ナセル、マ・ソミア、ナ・テウス――君の母親が、 赤ん坊だった君をあやすためにかけていたという言葉を聞いた。 君はその意味を知っているのか?」
「ええ、牧師様に教えて頂きましたから」
「どこの言葉か知っているのか?」
「いいえ、不思議な響きの、遠い国の言葉ということしかわかりません」
 フレイアシュテュアは手を休め、ふるりと頭を振った。 ランディは林檎と鋏を入れた籠を地に下ろして、 無骨な軍手を外し、すぐに俯きがちになるフレイアシュテュアの頬に手を添えて、 その白い面を上向かせた。
「遠いだけではない、とても古い時代の言葉だ。 遥か南の土地で、千年も昔に栄え滅びたグラシアという国の言葉。 教養の為に、私も少しかじった程度だが、 マ・ナセルという言葉には『私の最愛の人』という意味が込められている。 その後にマ・ソミア、ナ・テウス――『私の娘、あなたの子供』と続くのだから、 君はきっと、君の母親が愛した男の子供に違いないだろう」
「……そんな風に言って頂いたのは初めてです」
「そうか、慰めに過ぎないかもしれないが、そう考えると少しは楽になれるだろう?」
「ええ、そうですね……」
 己の正体を掴めぬ焦燥と恐怖を、心の根源に抱えるフレイアシュテュアに、 ランディは一条の光をもたらした。 たとえ実の父親を知ることがなくても、一つの愛の証として生まれたというならば救われる。 自身の心も、そして、深く慈しんでくれたという亡き母も。
 じっと見つめていると、フレイアシュテュアが頬を染め、 恥らいながら目を伏せるので、その可憐な風情にそそられつつも、 ランディは彼女の頬からそっと手を放した。


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