第十四章 「余興」 4
人込みを分けて、ようやく現場に駆けつけていたヴェンシナは、
予想を超えた展開に顔面蒼白で固まってしまった。
凍りつくヴェンシナの目前で、事態はさらに深刻化してゆく。
「返事は? フレイア」
「は、はい」
ランディに半ば強要されるようにして、
フレイアシュテュアは思わず頷いていた。
たいへんなことになるかもしれないという意識はあったが、
恋しい騎士にまるで姫君のように扱われ、熱心に許しを請われて、
どうして逆らうことができただろう?
「わっ、私のフレイアに何をする!」
屈辱にまみれたエルアンリは、顔を真っ赤にしながら立ち上がり、
激しく地団太を踏んだ。ランディも身を起こして、
フレイアシュテュアをヴェンシナへ預けるように押し出すと、
左手の手袋を手早く外して、エルアンリの額にめがけてぴしりと投げつけた。
「エルアンリ・ヴォ・ブルージュ、君に正式に決闘を申し込もう。
得物は何でもいいと言いたいところだが、今の私に用意できるのはこの剣だけだ。
日時を決めて回答してくれ」
剣の柄に手をかけながら、ランディは尊大に言った。
ランディの手袋を踏みにじり、エルアンリは歯を剥き出しにして叫んだ。
「け、決闘だとっ!? 何故そんな茶番に、私が付き合わないといけないんだ――!」
ランディは嘲るように高々と笑った。
「何だ、あれほど偉そうに言っておきながら自信がないのか?
ならば不戦勝ということで、彼女の自由は私が貰おう。金輪際フレイアには近付くな!」
「ふざけるな!」
「ふざけてなどいるものか。悔しいならばその手で私を倒してみるがいい!
エルアンリ・ヴォ・ブルージュ!!」
腹に響く力強い声で、ランディはエルアンリを一蹴した。
「きっ、騎士風情がっ……、こっ、この私に指図をするなっ……!!」
自尊心を傷つけられて、エルアンリはまた苛々と地団太を踏んだ。
癇癪を起こす子供のような仕草に、ランディは呆れかえった。
「私が騎士であるのが、それほど気に入らないのか?」
「そうだっ!! 平民出の騎士の分際で、
貴族である私に楯突くとはどういった了見だっ!」
エルアンリにとって、平民は貴族に従順で卑屈であるべき存在だ。
たとえ今は騎士の叙勲を受けているにしても、
生まれながらの貴族に比すれば一段低いことに変わりはない。
「くだらないことにどこまでもこだわる男だな。
貴族であることを嵩に着ないと、君は何もできないのか?」
ランディはいとも簡単に、エルアンリの心の拠り所をくだらないことと言い切った。
「何をっ!?」
凄むように睨み付けてくるエルアンリに、わざとらしく吐息をついてみせ、
ランディは目を細め、声を低めた。
「……ウォルターラントというのは父から継いだ姓でな、
実は私には、もう一つ名前がある」
その名を口にするのは、ヴェンシナにも止められている禁じ手である。
けれどもランディは、こだわりを捨てて一気に名乗った。
「私のもう一つの名は、ランドリューシュ・デュ・サリフォールだ!
これで文句はあるまい!」
「サリフォール……? デュ・サリフォールだと!?」
ランディがいきなり目の前に突きつけた事実に、エルアンリは怯んだ。
エルアンリの姓である『ヴォ・ブルージュ』の『ヴォ』はヴォルファリエンの略、
すなわちブルージュ伯爵家という意味である。
対するランディが名乗った姓、『デュ・サリフォール』の『デュ』はデュラリエンの略、
そして、その意味は……。
「デュラリエン【公爵家】の人間が――!
何故名を偽って近衛騎士などをしている!?」
エルアンリは混乱した。サリフォール公爵家といえば、
東西南北の四大州公の筆頭を務める、エトワ【北】州公の一族の姓だ。
王室とも血縁が深い名門中の名門貴族で、
たかだか領伯に過ぎないエルアンリの家系とはまるで格が違う。
「何も偽りというわけではない。母は貴族の出だが、父は平民だからな。
私は好きな方の名を名乗っていいことになっている」
エルアンリの疑問に対し、ランディは平然とうそぶいた。
「それで平民を選ぶというのか? 酔狂な男だな」
理解しかねるといった口ぶりのエルアンリに、
ランディもまたわかってないなと言いたげな顔つきをしてみせた。
「なまじ位が高いと窮屈なものだぞ。こちらの方が気楽でいい」
それが間違いなくランディの本音であると知っているのは、
この場ではヴェンシナくらいのものだろう。
きりきりと痛み始めた胃をなだめながら、ヴェンシナは懸命に、
ランディを叱り飛ばしたい衝動に耐えていた。
「君に決闘を申し込んでいるのも、サリフォール家のランドリューシュではない。
平民出の騎士のランディ・ウォルターラントだ」
穏やかにすら聞こえる声音で、ランディはエルアンリを唆した。
「つまり、お前を叩きのめしたところで、
上位者を傷つけた咎には問われんということか」
ようやく酒が抜けてきたのか、落ち着きを取り戻し始めたエルアンリに、
ランディは余裕たっぷりの微笑で応じた。
「そういうことだ。尤も私にも、近衛二番隊の騎士としての誇りがある。
髪の毛一本損なわせるつもりはないがな。どうだ、受けて立つか?」
「……よかろう。では、明日の正午。ここで、今と同じ場所で」
不承不承といった態で、エルアンリは承諾した。
ランディに乗せられてしまった感が否めないが、
これ以上固辞していては面子に係わるというものだ。
どちらが上であるのか、力で知らしめればいい。
酒さえ入っていなければ、見掛け倒しの近衛騎士などに
負けるものではないという自負もある。
「承知した。村の者全員が証人になってくれよう」
静かな闘志と恋の情熱で、ランディの気分は高揚していた。
これでもう後には引けない。フレイアシュテュアを取り戻す為に、
ただ明日の勝利を求めるのみである。
かくして、カリヴェルトとシャレルの結婚の宴は、主役の二人を差し置いて、
強烈な余興の余韻を残したまま幕を引こうとしていた。
参列した全ての人々にとって、忘れられない一日になったことは確かである。