緑指の魔女


第二十章 「迫真」 2


 アレフキースを見送ったキーファーは、 医者を兼ねる牧師たちを捜してきょろきょろと辺りを見渡した。 アレフキースは名乗らなかったが、堂内は王太子を目の当たりにした興奮と感動で ざわめいている。王太子自らが兵を率い、救援の手を差し伸べてくれたという事実は、 大いにシュレイサ村の村人たちを感激させ、勇気づけたようだ。
「牧師様、若牧師様はどちらにおいでですか?」
「わしらはここじゃよ」
 キーファーの呼びかけに応じてエルフォンゾが答え、 その近くでカリヴェルトが立ち上がり手を振った。二人の牧師も、 そして看護婦を務めている教会の娘たちも、アレフキースがいる間は驚いて手を止めていたが、 気を取り直して怪我人の手当てを再開していた。
 キーファーは人々の間をすり抜けて彼らに近づくと、 床に座って治療を続ける老牧師の脇に腰を落として、赤く染まった手袋をぐいと外した
「ランディ様から、お二人のお手伝いをするようにと言い付かっています。 おそらくこれから、傷ついた兵もたくさん運ばれてくるでしょう。 僕は医者としてはまだまだ未熟ですが、できる限りのことはさせて頂きますので、 なんなりとお申し付けになって下さい」
「それはお疲れのところ、申し訳ありませんのお」
 エルフォンゾが老いた目を細めてすまなそうに詫びた。
「平気ですよ、体力には自信がありますから」
 答えてキーファーはにっこりと笑ってみせる。 愛想が良く、他人に警戒心を抱かせぬキーファーは、 ヴェンシナとはまた違った意味で軍人らしからぬ騎士であった。
「エルミルトでお会いした時も今日も、あなたには本当にお世話になってばかりですねえ。 そうそう、ラギィから、あなたの鞄を預かっていたんでした」
 カリヴェルトはしみじみと言って、思い出したようにキーファーの医療鞄を取り出した。
「宜しくお願いします。今は比較的軽傷の方ばかりですから、 子供やお年寄りから順に治療をしてあげてもらえますか?」
「ええわかりました。すぐにかかれるよう準備をしますね」
 そう言ってキーファーは腰のベルトを外し、邪魔になる制服の上着を脱ぎ始めた。
「それじゃああたしが騎士様をお助けするわね、フレイアは牧師様についててね」
「ええ」
 人見知りをするフレイアシュテュアを思い遣って、 ラグジュリエはキーファーの助手を買って出た。 シャレルは当然カリヴェルトにつききりなので議論を挟む余地はない。
「何でも言って頂戴ね、騎士様」
「騎士様っていうのは堅苦しいからキーファーでいいよ。 君のことはラギィって呼んでもいいかい?」
 シャツの袖を折り返しながらキーファーは尋ねた。ラグジュリエは嬉しげに答える。
「勿論よ。キーファーはヴェンのお友達だもんね」
「ええと、じゃあ早速なんだけど、手洗い用の水はあるかな、ラギィ。 こんな手のままじゃ何もできやしないや」
「ちょっと待っててね」
 ラグジュリエはてきぱきと動いて、水を張った洗面器と清潔なガーゼを用意した。 礼を述べて手を清め始めたキーファーに、好奇心がおもむくままにどんどんと話しかける。
「さっきの方って王太子様よね?」
「うん、そうだよ。王太子アレフキース殿下」
「お姿がランディに似てたからびっくりしちゃったわっ! お声だってっ!」
「お従兄弟同士だからねえ、そういうこともあるよ」
 興奮さめやらぬ様子のラグジュリエに、キーファーは何食わぬ顔で相槌を打った。
「都の騎士様たちとご一緒に、王太子様まで来てくれるなんてすごいわ!」
 楽観的なラグジュリエの中では、頼もしい救援を迎えて、盗賊団との攻防はもはや勝ったも同然である。 その生き生きとした表情に不安の陰りは無い。
「……ランディもヴェンも、まだ外で戦ってくれているのね」
 そんな『妹』とは対照的に、心ここにあらずといった風情で、フレイアシュテュアがぽつりと呟いた。 キーファーが視線を向けると、フレイアシュテュアは紅い唇をわななかせながら、 震える声を絞り出した。
「ランディは隊の要だから狙われていると……、 王太子様がおっしゃられていたのが聞こえました……!」
 希望に溢れたラグジュリエや、他の村人たちをよそに、愛しい青年と大切な『兄』の 身を案じて、フレイアシュテュアの心は潰れそうになっていた。
「フレイア……」
 シャレルはそっと手を伸ばして、両手で顔を覆ってしまったフレイアシュテュアを胸に抱いた。 彼女の表情が固いのも、おそらく弟を心配してのことだろう。
 主君や上官、同僚たちを戦地に送り出しているキーファーには、 二人の気持ちが誰よりも理解できた。しかし彼はそれをおくびにも出さずに、 できるだけ明るい声でフレイアシュテュアを励ました。
「きっと大丈夫ですよ。ランディ様ご自身も武芸に秀でた方ですが、 あの方は僕らにとって特別な方ですから、必ず誰かがお守りしているはずです。 僕が言うのもなんですが、近衛二番隊の騎士は精鋭揃いなんです。 勿論、ヴェンシナも含めて」
 キーファーはそこで一旦言葉を途切らせ、 さらにはシャレルを元気付けるように微笑んでみせた。
「戦闘の才に限って言えば、ヴェンは僕よりもずっと上です。 特別任務を任されるということは、それだけヴェンの腕が立つということなんです。 いくら国王陛下があの方に甘くとも、信の置けない護衛がお供では、 お忍び休暇なんてお認めにはならかったでしょう。 先程殿下が仰られていたように、信じて差し上げて下さい。 あの方のことを、ヴェンのことを。 僕らはここで、僕らにできる戦いをしなくてはなりません」
「……はい」
 顔を上げて答えるフレイアシュテュアの声に重なるようにして、 聖堂の入り口の方向から、慌しい軍靴の音と女たちの悲鳴が聞こえてきた。
 表情を厳しくして、キーファーは立ち上がる。 聖堂に入ってきたのは国境警備隊の兵士たちだった。
「負傷者だ! 医者はどこだっ!?」
 キーファーは迷わず手を挙げて叫んだ。
「こっちです! 運べますか!?」
「今から連れて行く!」
 聖堂の床に赤い小川を描きながら、重傷の兵士が運ばれてくる。 キーファーは気持ちを引き締めて、彼だからできる新たなる闘いに、 一つでも多くの命を救う為の医者としての闘いに向き合った。


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