第二十一章 「至宝」 2
風雲は目まぐるしく急を告げる。慌しい足音が響いたかと思うと、
教会の奥へと続く扉が廊下側から激しく叩かれた。
「王太子殿下に急ぎご報告を!! 扉を開けて下さい!!」
「本当に軍の者か!? 所属と名を!!」
国境警備隊の駐留小隊の長が詰問すると、扉の向こう側から硬質な声が答えた。
「王室近衛兵団騎士隊二番隊所属、エリオール・シャプリエです!」
「その声はエリオールに間違いない。早く開けてやれ!」
アレフキースが命じる。小隊の長によって扉が開かれるやいなや、
エリオールはもどかしげに王太子とその従兄弟の前に参上した。
騎士は脇に赤毛の少女を抱えている。
「殿下! 副隊長!」
「どうした!?」
アレフキースが問う。エリオールは切迫した面持ちで、手短に状況を説明した。
「はい、先程の爆音は兵の足止めを狙っての脅しとみえ、
国境警備隊にいくばくかの被害が。盗賊団は村の娘二人を人質に取り、
西の方角へ逃走したそうです!」
「娘――? 何故今になって娘が攫われる!?
みなこの聖堂の中にいたのではないのか!?」
問い質すランディの胸に、嫌な予感がひしひしと迫った。
瞳が無意識のうちに人々の間を彷徨い、フレイアシュテュアの金色の頭を探す。
「ええ、勿論そのつもりだったのですけれどね。誰かが薬瓶を割ってしまったというので、
新しい薬や血止めの布の補充に、娘たちが兵に付き添われて奥に向かったと、
キーファーから事後報告を受けていたところでした。その最中に――爆音が」
懸念が的中し、アレフキースは眉間を押さえた。直ちに騎士たちを現場へと急行させていたが、
救出は間に合わなかったようだ。
「何だって!?」
教会の案内に率先して立つ娘は限られている。シャレルは聖堂に残っていた。
そして、ラグジュリエはたった今、エリオールに保護されて来た。
ということは、つまり――。
「ランディッ……! フレイアが……!」
ラグジュリエはエリオールの腕から抜け出して、
動転しながらランディにまろび寄った。
「フレイアとサリエットがっ、連れて行かれちゃったわっ!!」
予想通りの名を上げられて、ランディの目の前は一瞬真っ暗になる。
「馬鹿な!! エルアンリは何をしていた!?」
思わずそう口走ったのは完全に八つ当たりだが、
あれほどフレイアシュテュアに固執していたエルアンリが、
みすみす彼女を連れ去らせてしまったことは、確かに驚愕に値した。
「レルギット領部隊長様は、爆撃の為に怪我を負っておいでです。
指揮官の負傷に加えて、内通者がいたこともあり、国境警備隊の兵たちは動揺し、
混乱をきたしています」
ランディの疑問に答えて、エリオールは報告を続ける。
聞き咎めてランディは眉を顰めた。
「内通者?」
「はい、駐留の兵の中に、盗賊団の一味が傭兵として紛れ込んでいたようです。
正規兵たちは廊下で昏倒させられており、裏口は内側から開錠されていました。
娘たちを盾にされてしまっては、手の出しようがなかったものと――」
「小賢しい真似をしてくれる! 賊も賊だが、傭兵の身元確認を怠るとは、
国境警備隊も職務怠慢に過ぎる!」
ランディは苛々と言った。駐留小隊の長は今初めて露見した事実に畏れ驚いて、
顔面蒼白になっていた。
「フェルナント隊長が、事態の収拾に当たる一方で、部隊を整えておいでです。
追撃のご命を下さるようにと仰せですが、いかがなさいますか?」
「追うに決まっている! 絶対に逃すものか!!」
ランディは激昂していた。今にも飛び出してゆきそうな彼の肩を、
アレフキースが掴んで引き止める。
「待ちなさい!」
「何故止める!?」
ランディはアレフキースの手を振り払った。互いにきつく睨み合うようにして、
王太子とその従兄弟は対峙する。
「あなたがご自分で出られる必要はない。私が一体何の為に、
トゥリアンまでお迎えに上がったとお思いです。
これ以上、あなたが危険に身を投じるのを見逃すわけには参りません。
後の始末はフェルナントにお任せなさい!」
「駄目だ。譲歩はしない、アレフキース! 奴らが私の目の前で、
この国のどれだけ多くを傷つけ奪ったと思う!?」
堂内を震撼させるようなランディの怒気に、気の弱い村人たちがびくりと身を縮めたが、
アレフキースは動じる素振りも見せず冷静に札を切った。
「お怒りはもっともなこと。しかし、私をアレフキースと呼ぶのであれば従いなさい!」
ランディは一瞬、言葉を詰める。僅かに視線を外した後に、彼はその決意を固めた。
「――では、これよりお前に名を返そう。真実の名において、
全ての責は私が負う!!」
ランディは目を見開き、長剣を鞘ごと外して床に投げ捨てた。
真っ直ぐにアレフキースの目を見据え、傲岸に手を伸べる。
「私の剣を。予定より早いが渡して貰おう」
揺るぎ無い意志に満ちた、ランディの燃え上がるような双眸を、
アレフキースは真正面から受け止めた。逸らすことなく眼差しをぶつけたまま、
アレフキースは厳かに諾った。
「――結構。その覚悟がおありならば仕方がない。認めて差し上げましょう」
アレフキースも宝剣を外した。それは休暇の初めの旅立ちの朝に、
留守と共にランディが預けていったものである。
水を打ったように静まり返る聖堂の中央で、正当な持ち主の手に宝剣を託すと、
アレフキースはあたかもそこが宮廷であるかのように、この上なく優雅に、
流れるような所作で、ランディの足下に跪いた。
「その剣の重みを、国の行く末を預かる御身の大事を、
努々お忘れになることございませんよう――王太子殿下」
「大仰な奴だ」
ランディ――、否、王太子アレフキースは苦く笑った。
「……王太子様……?」
傍らでラグジュリエが、呆然と彼を見上げてくる。
アレフキースは少女の赤い頭にぽんと手を置いた。
「騙して悪かったな、ラギィ」
あっけにとられる村人たちの前で、黒髪で黒い瞳の背が高い王太子は、
己の身の証を立てる宝剣を腰に佩くと、主従を正しく入れ替えた腹心の名を呼んだ。
「ランドリューシュ、村を頼む」
「お任せあれ。必ず無事にお戻り下さいますよう」
「わかっている。行くぞ、エリオール!」
「ご随意のままに、殿下」
真実の主君に、エリオールは一礼して付き従う。
血に染まる白いマントを翻して、アレフキースは聖堂を後にする。
ランドリューシュは恭しく跪いたまま、今までよりも幾分頼もしく見える、
うら若い王太子の背中を見送った。