深い深い森の、白い白い闇の中で、ただかの人の手の温もりだけが確かだった。
霧の木立の中へと、今にも溶けて失われてしまいそうな儚げな風情で、鮮やかな紫の瞳を哀れみの色で染めながら、かの人は暗く塗りつぶされた心を救い上げてくれた。
乱れた想いのままで、引き寄せ抱きすくめると、細い身体はおののいていた。
このまま攫って逃げることができるならば――。
強い望みはけれど、叶えられる筈もない。
しっとりと濡れた、
*****
白い夢から覚めると、見慣れぬ寝台に広がる、寝乱れた銀色の長い髪が見えた。
驚いて身を起こして、アルセイアスは思い出した。昨夜彼は新しい妻を娶り、彼女と一夜を過ごしたのだ。夢の中の女性とは違う、まだ少女の年頃の幼い妻と。
罪深い夢だ。
かの人にも、妻
まるで
明り取りの窓が投げかける、おぼろげな光を頼りに、アルセイアスは昨夜脱ぎ捨てた衣服を探した。その微かな揺らぎに、幼い妻も目を覚ました。
「……アルセイアス様?」
妻はまだあどけない声で、不安げに夫の名を呼んだ。アルセイアスは微笑して、妻の顔にかかる髪を優しく掻き分けると、その唇に軽く接吻した。
「お早うございます、マリアセリア。気分はどうですか?」
「はい、大丈夫、です……」
まだ慣れぬ口付けと、淡い闇の中に浮かび上がる夫の裸身に頬を染めながら、マリアセリアは小さく頷いた。
アルセイアスがそのどこまでも青い双眸で、寝覚めたばかりの自分の姿を見下ろしているのかと考えると、恥ずかしさからまともに目を合わせることができない。
「アルセイアス様、もう、行かれるのですか?」
口元近くまで掛け布を引き上げながら、マリアセリアは尋ねた。
「そうですね、少し早い時間ですが」
「では、ご準備を、お手伝いします」
胸元を隠しながら、慌てて半身を起こしたマリアセリアを押し止めて、アルセイアスはあやすように言った。
「一人でできますよ。あなたはもう少し休んでいるといい」
「いいえ、そんなことをしたら、お母様達に笑われてしまいます」
「黙っていればわかりませんよ、大丈夫」
「はい……」
アルセイアスに妻問いを受けたら、あれもせよこれもせよと、一族の女たちから言い含められていたマリアセリアは、
気負いを削がれてしゅんとしょげかえってしまった。
幼妻のそんな様子が微笑ましく好ましく思えて、アルセイアスはマリアセリアの肩を抱き寄せると、その絹糸のような銀色の髪を撫でた。
「いつになるかわかりませんが、今宵もまた、あなたに逢いに忍んで参ります。意地悪をなさらずに、室に入れて下さいね」
「そんな、勿論です。お待ちしています」
「あと、それから」
マリアセリアの、左が青で、右が紫の、色違いの瞳を間近から覗き込んで、アルセイアスは言い聞かせた。
「私のことは、セイアスと呼んで下さい。もちろん
「はい……セイアス」
かそけき声で答えた、マリアセリアをふわりと抱いてから、アルセイアスは寝台を降りて身支度を整えた。
「では、セリア、また夜に」
「はい……、吾兄」
素肌の上に、自分の着て来た上襲を打ち掛けて見送る、愛らしい新妻の額に接吻して、アルセイアスはマリアセリアの室を後にした。
戸口でマリアセリアが見せた、はにかみながらも輝くような笑顔に安堵し、喜びを感じながらも、アルセイアスの心はうち沈んでいった。
岩屋の外には、冷たく朝霧が満ち満ちていた。木の影に
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2006-09-17(2015-12-16 改稿・再掲)